Secret Garden
samhain――サウィン――
10月31から11月1日の夜――サウィンは、一年に一度、彼岸と此岸の結界が緩むときである。
エリンを統べていた古の神々・ダーナ神族――トゥアハ・デ・ダナーンは、島の外からやってきた人間の祖先に敗れ、妖精の丘――シーの地下にある常若の国――ティル・ナ・ノグに隠れた。
人間はシーを中心に城砦――ドゥーンを造り、そこに住んだ。そのなかで最も強き者が王――ルイリーと呼ばれ、ドゥーンのまわりに数々の部族――トゥアハが出来上がった。
トゥアハ・デ・ダナーンがティル・ナ・ノグに去ってからも、神々の霊力は地上に僅かに残っていた。神々の霊力は作物の豊かさや牧畜の多産など恵みをもたらした。
人々は神々の偉大さを身を以て知り、一年の区切りの時期に神々への供儀を行い、家々でも祈りを捧げた。
サウィンは太陽の力が最も弱まる時期で、一年の始まりである。サウィンの夜、ダーナ神族の男神である豊饒の神・ダグダと戦の女神・モリガンがまぐわう。豊饒の神の恵みが夜の大地に満ち溢れる。
ルイリーや族長に命じられ、知恵や予言を巧みとする賢者――ドルイドや、詩人で予言者――フィリがシーのうえに数々の火を焚き、神々や祖霊に供物や薫香、牧畜など生け贄を捧げて次の年の多産と豊作を祈った。
サウィンの夜、火に照らされた吟遊詩人――バルドが謡い、巫女やトゥアハの者が人ならざるものに仮装し、恍惚状態になって踊り狂った。詩と舞を神に捧げ、神と祖霊を慰めた。
サウィンの夜は、ダーナ神族の成れの果てである妖精と、王族や部族の祖霊が地上に帰ってくる。
妖精や祖霊は気まぐれで、境界が緩んだサウィンを幸いに、気に入った者をシーの下に連れ去ろうとする。
人間は妖精や祖霊が災いを起こさないよう、家の前に小さな火を焚き、自身の作った作物や潰した牧畜を供え、仮面を付けて妖精や祖霊を欺いた。
神と妖精、祖霊と人間が一緒に過ごす夜――それが、サウィンだった。
*
クラウドには、幼い頃から見続けている夢があった。
真っ直ぐ伸びた、長く美しい銀髪の青年の夢。黒い衣を纏い長剣を手にした剣士の夢。それはサウィンの時期に、クラウドが決まって見る夢だった。
青年はクラウドに微笑み掛け、癖のある金髪を撫でた。年を得るにつれ、青年はクラウドの素肌も撫でた。
クラウドは青年のしていることが何なのか知っていた。エリンの男子は、青年になる頃から年上の男性に性の手ほどきを受けて大人になるのだ。
少年は大人の男に性の悦楽を教えられ、後花を開かれる。一度男の身体を知った少年は、男に一夜の情事を求められれば、応えるのが当たり前。むしろ、断った男は腰抜けと罵られる。男と男が愛し合うのが普通――それが、エリンの習俗だった。
クラウドはまだ子供だが、次のサウィンを過ぎると、青年と見なされることになっている。現に、二月後にルイリーの子の従者として侍ることになっている。ルイリーの子の従者になるということは、王や王の子の愛人になるというのと同義だった。
『おまえがひとのものになるのは、惜しいな』
クラウドがルイリーの子の従者になると決まったとき、サウィンではないのに、銀髪の青年が夢のなかに現れその事実を嘆いた。
ルイリーの子の従者になるのは、族長の子でありながら、身分の低い母から生まれたクラウドからすれば名誉なことだ。だから青年の思いが分からなかった。
『あなたは喜んで下さらないのですか?
俺が王子の従者になり寵を受ければ、母さんに楽をさせてあげられるんです』
クラウドは奴隷同然である小作民の娘が、族長に戯れに手を付けられ出来た子だった。父である族長の庇護を受けていたが、身分の低い母から生まれた子なので、戦士を父に持つ娘から生まれた子より肩身が狭かった。
幸い、母の美貌をクラウドは受け継いでいたので、部族の視察をしていたルイリーの目に止まり、ルイリーの子の従者となることに決まった。
クラウドがルイリーやルイリーの子の寵愛を受ければ、母の立場が部族のなかで格上げされる。だから、クラウドは身に降ってきた幸運に喜んでいた。
が、銀髪の青年は憂い深い顔をしている。
『いや……おまえがドゥーンに来ると、今よりオレに近くなる。
そしてサウィンの夜には、おまえをオレの世界に迎えることが出来るだろう』
青年はクラウドに口づけすると、彼の敏感な尖りを指で弄んだ。項や鎖骨を辿る唇、腋下や脇腹をなぞる指先に、くすぐったくなりクラウドは小さく震える。
胸の頂を指と唇で愛撫されれば、クラウドの身体に奇妙な気持ちよさが沸き上がってきた。
『んっ……ふっ……』
熱くなっている場所を細い指先で戯れられると、不思議なことに何かが溢れてきて、そこと青年の指を濡らしてしまう。
今までも青年と夢を見てきたが、こんなことまでされるのは初めてだった。
『ひとに奪われるまえに、いまオレがおまえを奪う』
秘花を指で解され、クラウドは喘ぎ続ける。それでも、ルイリーに侍るまえに誰かに身体を捧げるのは、まずいと思った。
『……ま、まって……!』
ルイリーの子に気に入られるためには、初物を捧げなくては。でなければ、母に楽な思いをさせてあげられない。族長である父の立場も危なくなる。自分のために部族に危機が訪れるのは、どうしても避けなければ。
青年はふっと笑うと、焦るクラウドの耳元に囁いた。
『安心しろ、これはうつつではない。ただの夢だ』
言いつつ、青年はクラウドのなかに自身の高ぶったものを埋めてきた。
前を擦られながら、後ろを青年のものに掻き混ぜられる。時折身体が痺れるような快感を与える場所を掠めながら、青年は腰を動かし続けた。
クラウドは青年の身体の下で藻掻きながらも、身体が愉悦一色になっていくのを避けられなかった。
『い、いやだ――ッ!』
自身のなかに青年が情欲を迸らせたとき、クラウドは大声で叫び、目を覚まし跳び起きた。
額の汗を拭い、クラウドは朝食の煮炊きの匂いに、帳の外に目を向ける。
――サウィンじゃないのに、あの男の夢……。
そして、男は俺を最後まで抱いた……。
サウィンは異界と現実の境目が緩くなる時期である。この時期の夜に現れるものは、異界のものであるといわれている。サウィンの夜に夢に現れる男に、はじめクラウドは畏怖を抱いた。妖精か祖霊か――どちらにしろ、男はひとならざる者だと思った。
怖がりながらも、次の朝ちゃんと自分の寝床にいるので、クラウドは安堵していた。異界の者は、クラウドを異界に連れていくつもりはないらしい。
鹿の毛皮を敷き詰めた寝床から立ち上がり、クラウドはチュニックを身に付けながら思った。
――一週間後、俺はドゥーンに行くんだ。王子の従者になって、あの男のことを忘れるんだ。
あの男のことは忘れた方がいい、忘れた方が身のためだ――クラウドは硬く決心した。
ルイリーの統治するドゥーンは、肥えた土地だった。豚や牛、山羊や羊などの牧畜は成長がよく、良質な肉や乳が穫れる。大地にぶどうや麦、豆を植え、秋になれば豊かな収穫物を得られた。蜜蜂を育てて蜂蜜を採り、ハーブと混ぜて蜂蜜酒――ミードを造っていた。
また、ルイリーは数多の戦士の統率者であり、戦士たちは優れた軍馬を蓄えていた。
ドゥーンの中央には、家々を見下ろす小高い丘陵がある。この丘にはトゥアハ・デ・ダナーンの誰かの地下宮殿があるとも、また王の先祖の誰かが眠っているとも言われているが、定かではない。
ドゥーンの者たちは、丘の霊の守護により栄えているとして、毎日丘に供物を捧げ、儀礼を行っていた。
クラウドはルイリーの子――ルーファウスの従者として、年嵩の戦士の教えを受け、剣や戦車の扱いを覚えていた。ドゥーンにやってきて早三ヶ月、一週間後にサウィンを控えている。
サウィンの前後する数日は、当日ほどではないが、大地に霊力が満ち渡っている。クラウドは同じくルーファウスの従者であるザックスと剣と盾を持って打ち合いながら、妙に丘のほうが気になっていた。
「隙有りっ!」
丘に気を取られていたクラウドに、ザックスの剣が振りおろされる。寸でのところで気づいたクラウドは横に転がり、ザックスの剣を避けた。
「クラウドぉ〜〜模擬試合中に余所見はダメだろっ!?」
ザックスの注意にクラウドは謝り、手を取って立たせてもらう。ザックスはクラウドの先輩で、ルーファウスに付いて幾度か戦場に出ている。勇猛果敢で、敵に遭遇しても臆せぬ男気のある青年だ。
ドゥーンに来てから、クラウドはもっぱらザックスに面倒を見てもらっていた。ドゥーンの戦団の中心人物はアンジールで、彼の信任厚いザックスが新入りの稽古やドゥーンでの行儀作法を教えていた。もっとも、ザックスは戦いには長けているが、行儀の面では大雑把だったが。
模擬試合が終わり、剣や盾を片づけていると、ザックスが小声で聞いてくる。
「なぁ、今夜は空いてるのか?」
ザックスの問いに、クラウドは首を振る。
「ううん、ルーファウスさまに呼ばれている」
クラウドの応えに、そうか、とだけザックスは言った。
ドゥーンに来てから、エリンの人間の慣習に従い、クラウドは男の肉体を知った。初夜をルーファウスに捧げ、それから数日後ザックスに関係を誘われ身体を結んだ。
ルーファウスと過ごす夜以外、クラウドはザックスと共にいることが多かった。恋人ではないが、ザックスといると楽しい。
ザックスもクラウド以外の男――とくにアンジールや従者仲間のカンセルと性関係にあるので、クラウドがルーファウスに呼ばれても気にしない。お互い嫉妬というものはなかった。
ルーファウスは美しく、ザックスは居心地がいい。だが、頭に浮かぶのは夢に出てきた銀髪の青年だけだ。幼い頃から夢に見、ドゥーンに来る前に自分を抱いた美貌の男。ルーファウスに肉体を捧げたとき、確かにクラウドの後庭は初物だったが、身体はなぜか快楽に馴染んでいた。
敏感な身体だとルーファウスが思いこんでくれたのでよかったが、クラウドは混乱の極みにあった。
――夢だったはずなのに……。
そして、どういうわけか、ドゥーンに来てから青年の目線を感じるような気がするのだ。砦のなかを隈なく探してみたが、男の姿はなかった。
ザックスのあとを追いながら、クラウドはちらり、と丘を見る。
――まさか、ね……。
サウィンが近くなり、クラウドはどこから目線が送られてくるのか、薄らと感じ取っていた。
気のせいだ、と思い直し、クラウドは自分を振り返るザックスのもとに走った。
ルイリーの子であるルーファウスの寝床は、毛足の長い熊の皮が敷かれている。木の枠組みと乾かした土、藁の屋根で造られた家屋は寒いが、炉に火が焚かれているので、充分に暖かい。
格子柄の外套――セイヨンだけ纏ったクラウドは、ルーファウスの持つ角杯に熱したワインを酌み、ワイン注ぎを寝床の外に置いた。
一口二口飲んでいたルーファウスが、傍らに座るクラウドに角杯を差し渡す。
「おまえも飲め。そのほうが楽しめる」
言われたとおり少し飲んでから、クラウドは主に杯を返した。ワインをすべて飲み干すと、ルーファウスはクラウドのセイヨンの留め金をゆっくり外す。露わになったクラウドの白い肩を撫でながら、ルーファウスは従者を寝床に横たえた。
ルーファウスはクラウド以外にも性愛の相手がいる。長年彼の戦車の御者をしているツォンやレノがそうだ。ルイリーの子であるので、相手に不自由することなどなく、性技も巧みだ。ルーファウスに抱かれると、クラウドは深い快楽を感じる。
が、夢のなかの銀髪の男のほうが、酩酊させるような愉悦を与えてきた。癖になりそうな、許しを乞いたくなるような容赦ない愛撫の仕方をしてきた。
主の腕のなかにいるのに、なぜ違う男――それも夢のなかの男を思い出すのだろう。クラウドは困惑する。
それが伝わったのか、ルーファウスはクラウドの下肢を弄ぶ手を止め、クラウドの顔を覗き込んできた。ルーファウスの射すような目線に、クラウドははっとする。
「わたしとの情事の最中に、考えごとをするとは、いい度胸だな」
「あっ、いえ……っ」
焦燥するクラウドに、ルーファウスは彼の息づくそこを容赦なくいたぶり、後ろに入れていた指を大きく動かした。
「あ、あッ…ルー、さまッ……!」
身体を折り曲げられてルーファウスの雄を受け入れ、クラウドは激しく喘いだ。
初めての夜、ルーファウスはルイリーに付いてクラウドのトゥアハを見に来たとき、クラウドを一目見て気に入ったと緊張するクラウドに語った。それからクラウドがルーファウスの伽をする機会が多くなり、寵愛を受けているといってもいいような状態になっていた。
ルーファウスに特別に想われていると、クラウドも自覚している。そして、そんなルーファウスに一生仕えようと思っている。だが、脳裏を過ぎる違和感に、クラウドは罪悪感を抱いていた。
『当たり前だろう? おまえはすでにオレのものだからな』
不意に聞こえた声に、クラウドは瞠目する。
ふわりと帳のように顔の横に垂れ掛かる、長い銀の髪。細い瞳孔を持った碧の瞳。そして不敵な微笑――。クラウドの夢に現れる男が、目の前にいた。
――嘘だろう?! 俺は先程までルーファウスさまに……!
クラウドのなかには、ルーファウスのものではなく、青年の徴が埋め込まれている。目を細めると、青年は腰を小刻みに蠢かせた。
「あッ、ああああぁッ――!」
快楽の際まで追い上げられてゆく。頭が白んでゆく――。クラウドは身体をのたうたせ過激すぎる動きに悶えていた。
『時は満ちた。おまえはオレの足下まできた。
あとは、サウィンを待つのみだ』
サウィン……やはり、この男は異界の者なのだ。サウィンへの拘りは、ひとならざる者ゆえだろう。ひとならばサウィンに関係なく、夢など介せず肉体を結ぶことができるのだから。
意識を飛ばしながら、サウィンの夜が来ればどうなるのだろう、とクラウドは思った。
瞼を開けると、目の前に交差するルーファウスの手があった。自分の身体に背中から腕を絡め、主は寝入っていた。
体内にまだルーファウスが入っている――ルーファウスに抱かれた後は、いつもこうだ。
ということは、先程の男は夢だったのだろうか。クラウドはぶるり、と身体を震わせ、ルーファウスの腕を掴んだ。
――怖い、夢の男が……。
トゥアハにいたときよりも強く感じる男の気配。丘から送られてくる、思念のようなもの。それが自分をおかしくさせる。
動いたクラウドの感触に、ルーファウスが目を覚ます。
「クラウド……意識を取り戻したか。おまえはことの最中に失神したのだぞ」
ルーファウスの言葉に、クラウドは目を瞠く。気絶した記憶がない。ルーファウスと交わっていたとき、絶頂に達するにはまだ早かった。
――夢の男に、引きずり込まれた?
他の男と情交している最中にクラウドの意識を途切れさせ、夢のなかで抱いたのか、あの男は。
クラウドは考え込み、その後ルーファウスをじっと見た。
「ルーファウスさま……もしかすると、俺はシーの下にいる霊に呼ばれているのかもしれません」
突然のクラウドの発言に、ルーファウスは訝る。
「クラウド……?」
クラウドは言葉を止めない。
「サウィンの夜に、俺の身に何か起きるかもしれません。
シーの下にいる霊は、ドゥーンに恵みをもたらす存在……だから何があっても、シーの下にいる霊に従ってください」
「どういう意味だ?」
ルーファウスの問いに、クラウドは曖昧に答える。
「……シーの下にいる霊は、夢に現れたときから、俺がドゥーンに来るのを待っているようでした。
多分……サウィンに、何かが起こるはずです」
それは予感ではなく、直感だった。クラウドはドルイドやフィリではない。が、あの男――おそらく、シーの下にいる霊のクラウドへの執着の強さから、ただでは済まないと思えるのだ。
ルーファウスは怒った顔つきで首を振り、再びクラウドの身体をまさぐった。胸板に手を這わせ、項に口づけてきた。
「わたしは認めんぞ。それはおまえの妄想だ。
妄想と現実を一緒にするな……!」
嵩を益したルーファウス自身が、クラウドの襞を刺激してくる。互いに疼きはじめた身体に、勝手に腰が動き出す。意図してルーファウスが突いたとき、クラウドは苦しげに呻いた。
シーの下にいる霊――神か祖霊かは分からないが、きっと逃れられない。異界の結界が緩まるサウィンに、自分の身に何かが起きる。ルーファウスに抱かれながら、クラウドはそう感じていた。
クラウドの予感は、ドルイドたちによる丘への朝の供儀のとき、現実になった。
セフィロスと名乗った丘の下の霊が、クラウドを贄に望んだのだ。
ルーファウスやザックスが狼狽するのを、クラウドは冷静な目で見ていた。
「クラウド、何かの間違いだろ?!
おまえが、シーの下の霊の贄になるなんて……!」
守護を与えてもらうためドルイド・リーヴの館に向かっていたザックスは、取り乱し泣きそうな顔になっている。ドルイドに事の子細を聞きにきたクラウドは苦笑していた。
「まだ何とも……。これからリーヴさまに聞きにいくところなんだけど」
ザックスはクラウドがシーの下にいる霊――セフィロスに前々から呼ばれていたことを知らない。だからクラウドが極めて静かなのに驚き、かつ怒った。
「なんで、なんでクラウドは冷静なんだよ!
戦の場で死ぬならともかく、生け贄なんだぞ、殺されるんだぞ?!」
ザックスはクラウドに降り掛かった不運を、自分のことのように悲しんでくれる。クラウドはそんなザックスが好きだった。
「ザックス……ありがとう。でも、シーの下の霊の機嫌を損ねると、ドゥーンや周りのトゥアハに災いが起こるかもしれないだろう?
ドゥーンやトゥアハへのシーの加護を得るため、俺は贄になるよ」
セフィロスはクラウドが幼い頃から目を付けていた。そして、クラウドが青年になりドゥーンに来るのを待っていた。その執念は、並々ならぬものがある。――だから、逆らってセフィロスを怒らせると、後々厄介なことになる。
これはクラウドだけの問題ではないのだ。ドゥーンや数々のトゥアハの命運が掛かっているのだ。
クラウドはザックスに抱きつき、軽く口づける。そのまま彼から離れ、ドルイドの館に向かった。
ドルイドの館には、ドルイドであるリーヴと、フィリであるジェネシスがいた。
彼らは毎朝毎夕シーの上で祭儀を行い、時折シーの下の霊――セフィロスから予言を受けていた。
「きみが王子の従者であるクラウドだね?」
優しいリーヴの声に、クラウドは頷く。
「三ヶ月前にトゥアハからドゥーンに来たばかりで、ルーファウスさまの従者となるべく訓練している、そうだな?」
「そのとおりです」
リーヴの問いに応え終わったクラウドを眺め、ジェネシスが呟いた。
「トゥアハ・デ・ダナーンの一神であるセフィロスが、贄として求めるのも分かる美貌だ。
さて、セフィロスはこの者の血を求めるか、それとも……」
ジェネシスの言葉に、クラウドは鞭で打たれたように顔を上げる。贄になるとは聞いていたが、まさか血の供儀に使われるとは思わなかった。
血の供儀は大地に牧畜や人間の血を染み込ませることによって、大地に恵みを願うことだ。血は神々を滾らせ、土地に栄養を与える。
また、血や臓物によってドルイドは占いを行ったりした。ジェネシスの口振りから、そちらの可能性はないが……。
暗くなったクラウドの面もちに、リーヴが口添えする。
「サウィンに控えての潔斎は、明日の朝から始める。
会いたい者もいるだろう、今日は下がりなさい」
リーヴの命令に、クラウドは頭を下げた。
「畏まりました、賢者さま」
――そうだよな、ティル・ナ・ノグは死者の国なんだ。死者の国に呼ばれるということは、つまり死ななきゃならないんだよな。
クラウドは今まで思い至りもしなかったことを、ぼんやりと思う。
随分迂闊だった。妖精や祖霊が人間をシーのなかに誘い込むという話はよく聞く。今回もその類だと思っていた。
クラウドはセフィロスの地下宮殿のある丘を見る。
――神や祖霊からすれば、民の苦しみなど何てことないんだろうな。
自分の立場など、ないに等しい。生け贄となるしか、道はないのだ。
死ぬことは怖くない。トゥアハに居た頃から戦場で命を惜しむなと教えられており、ドゥーンに来てからはそれが戦士たち共同の誓約――ゲッシュとなっていた。
クラウドが溜息を吐いたとき、急に手を引かれ木陰に連れ込まれた。誰何すると、ザックスだった。
強引に唇を重ねられ、チュニックの裾をたくし上げられる。性急に素肌をまさぐり胸の突起を捻られ、クラウドは荒い息を吐いた。
「ザッ、ク……ザック…ス……!」
ズボン――ブラカイを脱がされ、下肢の中心を握られた。そのまま刺激され、クラウドは喘ぐ。ルーファウスと交わってから時間が経っていないので、クラウドの蕾は解れたままだ。少しだけ指で慣らすと、ザックスは自身をクラウドのなかに入れてきた。
今までザックスがこんなに慌ただしい行為をしたことはなかった。これもひとえに、クラウドが生け贄に決まったため。もう、肌を重ねる機会もなくなるのだ。
「クラウド……クラウド……っ」
ザックスの声に、涙が混じる。泣いているのは、クラウドも同じだった。
頼れる兄のような存在だった。自分の本当の兄たちより、ザックスのほうが余程自分を愛してくれた。そして、誰よりも暖かみを与えてくれた存在だった。
「ザク…ヒクッ…、ウウッ……」
喘ぎよりも泣き声というほうが似つかわしい声がクラウドから漏れる。激しく動いていたザックスが強くクラウドを抱きしめ、クラウドのなかに想いを吐き出した。
暫し、ザックスとクラウドは抱き合っていた。木立の陰になっているからか、ドゥーンの者は誰も気づかない。互いの肌を確かめるように触れ合い、愛撫しあって再度身体を繋げた。
ザックスの熱に浮かされながら、クラウドは木々のざわめきを聞く。森は神の坐す場所――シーの下にいるセフィロスと通じているのだ。轟音を起てる葉音に、セフィロスが違う男と契る自分に怒っていると悟る。クラウドは強く目を瞑った。
事が終わったあと、クラウドはザックスに小さく呟く。
「ザックス……本当に、今までありがとう。
俺はこれからサウィンの夜まで潔斎に入るんだ。だから、もう逢う機会はないよ」
静かにチュニックを着るクラウドを、ザックスは凝視する。
ザックスを振り返り、クラウドは彼の腕を掴んだ。
「ひとつだけ、お願いがあるんだ。
俺が霊の贄になったあと、すっぱりと俺のことを忘れてほしいんだ。
俺のことを覚え続けていると、霊の怒りを買うかもしれない。ザックスが不幸になるかもしれない。
だから、俺のことを記憶のなかから消して欲しい」
クラウドの懇願に、ザックスは目を見開く。腕を震わせるザックスに、クラウドは胸が痛くなる。
「……神か祖霊か知らないが、随分勝手だな」
「ザックス!」
ザックスの神を畏れぬ言葉に、クラウドは咎める。
「だめだ、霊を刺激してはいけない! サウィンが近いから、霊が動きやすくなってるんだ!
俺たちが交わっていたのを、霊は知っているんだ。森がざわめいてたのは、霊が俺に対して怒りを伝えてきたんだ。
霊を怒らせれば、ザックスだけでなく、ドゥーンやトゥアハにまで不運が降り掛かるかもしれない」
ドゥーンやトゥアハにまでという言葉に、ザックスは口を閉ざす。
サウィンは古い神や祖霊の霊力が満ちる時だ。彼らを怒らせたためにドゥーンやトゥアハが滅び、土地が不毛になることはざらにある。だからドルイドたちが彼らを慰めるよう祭を行うのだ。
唇を噛みしめ、ザックスは頷いた。それを見て、クラウドはほっとした。
集落に帰っていくザックスの背中は、無性に寂しげだった。
――ザックス、本当にごめん。そして、ありがとう……。
贄と決められたからには、クラウドが霊に捧げられなければ、祭が不足に終わってしまうのだ。戦士だけでなく、贄も大切な役目に他ならない。
クラウドは覚悟を決めた。
自分に割り当てられた家屋に入ると、クラウドはチュニックとブラカイを脱ぎ、大きな陶器の壷に入った水を使い、身体のなかに残っていたザックスとの交わりの残滓を清めた。
水に浸した布で肌を拭いていると、戸口を軽く叩かれた。
「クラウド、なかに居るか?」
この声は、ルーファウスの側近であるレノだ。クラウドは返事をしながら、急いで衣服を着る。
戸を開けると、人を食ったような笑顔のレノがいた。彼がこういう顔をするのはいつものことなので、クラウドは気にしなかった。
「王子から伝言。
今夜は伽に侍らなくていいからって」
レノの口を介して語られたルーファウスの言葉に、クラウドは胸を撫で下ろしながらも、残念なような気がした。
明日には潔斎に入るのだ。今夜を逃せば、ルーファウスに侍る機会はない。そう思い身体を清めていたのだ。ルーファウスに侍らないのなら、もう少しザックスの名残を残しておけばよかった。とはいえ、ルーファウスに何も言わずに去るのも、悲しすぎる。
伝言を伝え終わったので背を向けたレノが、ふと立ち止まる。クラウドは首を傾げた。
「……王子は、おまえを贄にしないように、ルイリーに掛け合ってくれたんだぞ、と。
けれど、贄にと望んだのは霊だから、おまえを贄の役から外すことはできなかったんだ。
今夜おまえを呼ばなかった王子の気持ちも、察してやれよ、と」
レノらしい口振りで伝えられたルーファウスの気持ちに、クラウドは感謝した。
「レノさん、ルーファウスさまにありがとうございました、と伝えてください。
そして、ご期待に添えなくて申し訳ありません、と……」
クラウドの精一杯の思いに、レノはぞんざいに手を振り、去っていった。
――これで、この世でやっておかなくてはいけないことは、何もなくなったな。
トゥアハにいる父や母に会いたい気もするが、父や母にとってクラウドが贄としてドゥーンやトゥアハに貢献することは、喜ばしいことだろう。それに、会えば母を悲しませるかもしれない。だから、クラウドは両親に会わないことにした。
――俺が霊に命を捧げることで霊が鎮まるなら、それでいい。
クラウドは戸口から集落を見、微笑んだ。
その笑顔は、諦めに彩られていた。
『おまえも覚悟を決めたか』
首筋を指の先で辿られ、クラウドは目を覚ます。身体を起こしたクラウドに、銀色に輝く霊――セフィロスは笑みを浮かべた。
屋内はまだ幽闇のなかにある。起きている感覚があるが、いつもと同じく夢だろう。クラウドは真っ直ぐセフィロスを見た。
「……フィリであるジェネシスさまが、あなたをトゥアハ・デ・ダナーンの一神だと仰っていました。
あなたは神だったのですか」
クラウドの問いに、セフィロスは微笑む。
髪の色が銀でなければ、ダーナ神族の英雄・太陽神ルーグと間違えそうな美貌である。
『それほど大したものではない。ダーナ神族の末席を汚している身だ』
そして、セフィロスはクラウドの頤を取ると、唇を重ねてきた。歯肉を舌でなぞられ、咥内をまさぐられる。
唇を離すと、セフィロスは眉を寄せクラウドを見つめた。
『……この世に、未練があるか』
射るような瞳に、クラウドは目を伏せる。
「未練は……あります。贄になるのが、嫌だという意味ではありません。ドゥーンやトゥアハのためなら、この身など惜しくはありません。
ただ、俺はこの世に生き、ひとの想いに触れました。俺はひとに愛され、大事にされてもきました。
その人たちが俺のために悲しむと思うと、やりきれません」
言ってから、クラウドははっとし、セフィロスの腕を掴む。
「あ、あの、これは俺ひとりの思いなんです。俺の我が儘なんです。
だから、ドゥーンやトゥアハに危害を加えないでください」
畏れ戦くクラウドに、セフィロスは悲しげに眉を寄せる。
『……そんなに怖がらずとも、人間に災いを与えたりしない。そこまで非情ではないつもりだ』
「そ、そうですか」
明らかに安堵するクラウドに、セフィロスは居たたまれなくなる。
『おまえを怖がらそうと思い贄に望んだわけではないが……。
世界を異にするおまえに触れるには、おまえをオレの世界に呼ばなければ無理だろう? サウィン以外に夢に現れるのは、霊力を使いすぎて負担になるのだ。
そして、此岸にいる限り、おまえは他の男に抱かれる』
初めて語られるセフィロスの本音に、クラウドは黙り込んでしまう。
幼い頃からサウィンの夜に夢に現れ、クラウドに情愛を施してきたセフィロスだが、彼のこころのうちを知る機会はなかった。
夢のなかに現れるセフィロスを、はじめの頃は恐がりもしたが、あくまで優しい態度に、嫌いにはなれなかった。
むしろ、他の男に抱かれながら思い出してしまうくらい、セフィロスはクラウドが知った男たちの誰よりもこころに残った。
ただ、引っかかることはある。それをクラウドは聞きたかった。
「あの、俺を異界に連れていくのなら、贄という形でなくても、攫っていけばいいと思うんですが」
サウィンの時期に妖精や祖霊が人間を攫うという話はよく聞く。攫われた人間は二・三年後に戻ってくるか、完全に彼岸に行ってしまうかどちらかだ。帰ったとしても、運がよければ何もなく終わるが、此岸に足を着けた途端、砂塵になって消えてしまう場合もある。ゆえに、異界に攫われた人間は命がないに等しい。
クラウドの問いに、セフィロスは困ったような笑みを浮かべた。
『攫ったのでは、意味がない。
おまえを此岸と此岸の人間から完全に別つには、贄という形しかなかった』
セフィロスの言いたいことが分かり、クラウドは目を伏せる。
要するに、此岸の人間に見せつけたいのだ、クラウドが完全に彼岸の人間になることを。誰にも知らせず姿を消すのではなく、明らかな形で異界入りさせるつもりなのだ。
神といえど、人間とさして変わりない。あるいは、神ゆえの残酷さを持っているともいえるか。クラウドは息を吐くと、顔を上げてセフィロスを見た。
「俺はティル・ナ・ノグに行き、あなたに仕えます。ひととして生きるのより長く――永遠に」
きっと、それがこの神の望みなのだ。誰にも邪魔されることなく、常若の楽園でふたり永きの時を過ごすことが。
美しい微笑を浮かべ、セフィロスはクラウドを逞しい腕に抱き締める。クラウドは黙って目を閉じた。
次の日の朝、ドルイド見習いとルイリー付きの戦士により、クラウドは森のなかにある潔斎の館に入った。
朝と夕の禊ぎを済ませたあと、館にあるセフィロスの祭壇に供物を備えて蜜蝋に火を灯し、ドルイド見習いの教えを受けながら呪言を唱える。ドルイド見習い以外誰とも接触せず、此岸の臭いを消す。それが贄に決まったクラウドの毎日だった。
館に入ってから、クラウドに脂の乗った猪肉の焼き物と豚肉のベーコンとチーズの入った乳粥、粉にした麦と蜂蜜を卵と牛乳とバターで練って焼いた菓子やミードなど贅沢な食事が振る舞われる。衣服も豪奢な絹のチュニックとブラカイに、羊毛で厚織りされたセイヨンを支給されている。
が、優雅な生活の裏にあるのが、ドゥーンのために贄となる自身への贖罪だと、禊ぎのため外に出るクラウドは気づく。――館の入り口を戦士が槍を交差して封鎖し、禊ぎをするため泉に行くときのみ戒めを解かれるのだ。
贄にされたとしても、自分は災いを為す霊にはならないのに――人間のこころの弱さに、クラウドは密かに苦笑いした。
10月31日――サウィン当日の朝、女神の像が安置さえた聖なる泉で、ドルイド見習いの介添えを受けながら禊ぎをするクラウドのもとに、フィリであるジェネシスがやってきた。染みひとつないクラウドの素肌を眺めながら、ジェネシスは呟いた。
「潔斎の最中でありながら、夢のなかで神に身を捧げているのだろう?
神の寵愛が深いというのは、大変なものだな」
予言者に神との夢での逢瀬を見透かされ、クラウドは赤面する。
時を置かずにティル・ナ・ノグに入るというのに、神たるセフィロスはサウィンの夜まで待とうとしない。毎夜夢のなかで濃い交わりをさせられ、クラウドは困惑していた。
セフィロスの情熱は、クラウドの想像を超えている。八年前のサウィンの夜にシーから抜け出したセフィロスは、小さなトゥアハを訪れたとき金髪の少年を見つけ、一目でこころを奪われ夢のなかに入った。それがクラウドだった。
以来、セフィロスはサウィンの度にクラウドの夢に現れ、成長するのを待っていた。が、美しくなったクラウドがエリンの習俗に従って何人もの男に抱かれると考えると、苦しくて堪らなかったらしい。潔斎の夢のなかで、セフィロス自身がクラウドへの睦言にそう語っていた。
フィリはドルイドに次いで透視や先視の能力がある。ジェネシスにそれが視えたということは、ドルイドであるリーヴにも事実が露わにされているだろう。もっとも、セフィロスの執着の強さから、神がクラウドに何を望んでいるのか分かろうものだが。
恥ずかしさにクラウドが顔を上げられないでいると、ジェネシスが静謐な声で言った。
「おまえをティル・ナ・ノグに送り出すとき、なるべく痛みを与えないようにしてやる。
夢とうつつの狭間にいるあいだに、おまえの魂を肉体から切り離してやろう」
それが神の望みだからな、と付け加えたジェネシスに、クラウドは笑みを浮かべて頷いた。
太陽の残照が山の稜線を染める頃、サウィンの祭が始まった。
ドゥーンに暮らす者たちは、なめした獣の毛皮を着込み、家の祭壇に今年収穫した穀物と新鮮な乳で作った粥と、潰した豚の焼き物、ワインやミードの新酒を供えた。
そして、家屋の前に大きな蜜蝋を据え、火を灯して焼菓子を置き、悪戯しようとする妖精や祖霊を宥め家に入ってこないようにした。
丘のうえでは、獣に仮装したルイリーや戦士、技師たちが見守るなか、ドルイドやフィリが樫や宿り木の薪や枯れ葉を円状に並べ、それぞれの上に獣脂を塗って火を点ける。ドルイドたちの長であるリーヴが、炎のなかに穀物や家畜の肉、ワインやミードを投げ入れていく。そのなかには、野薔薇の花弁や幻覚作用のある芥子の花弁や実もあった。
炎が天高く燃え上がったところで、呪術師が連れてきた立派な白牛を参列する人々に披露し、祭祀用の短剣で白牛の首を斬った。血を大地に吸い込ませ絶命した牛に、芥子の効果により血を沸き立たせた観衆が熱狂した。解体された牛が大火に焼べられ、一度目の犠牲の供儀が終わった。
次いでトゥアハ・デ・ダナーンの豊饒の神で、サウィンの主祭神であるダグダのために、リーの召使いたちが大釜で煮た獣肉と穀物の入った乳粥を持参し、予め空けてあった大穴に粥を注ぎ込んだ。
どこのドゥーンやトゥアハでも、サウィンの祭が行われている。燃え上がる炎のなかバルドが竪琴を弾いて謡い、巫女や民衆が催眠的高揚のなか踊り狂った。
そんななか、儀式の締め――10月31日と11月1日の変わり目に行われる供儀の要であるクラウドは、泉で身体を清めたあと、ドルイドたちにより肌を磨かれ、様々な顔料を使って皮膚に呪術的文様を描かれた。その後純白のセイヨンを着せられ、腰に大きな一枚布を巻いた。金細工のトルクで首元を幾重に飾り、金の耳飾りを装着している。
サウィンの喧噪を潔斎の館で聞きながら、クラウドは最期の食事を採った。宿り木を粉末にしたものを混ぜたパンときのこのスープ、くせの強いワインに蜂蜜を混ぜた酒だった。
晩餐を採り終わって暫くすると、クラウドの頭は朦朧としてきた。閉じそうになる瞼を必死に開けていると、ジェネシスが館のうちに入ってきた。
「……時間だ」
ジェネシスに手を取られ、クラウドは立ち上がり潔斎の館から出る。暗天には二重三重にぶれる満月があった。神の意を乗せた森の木々がざわめき、シーの上の空が赤く染まっている。
「おまえを贄に捧げることで、今夜の供儀は終わる。
既に、牡牛や今年の収穫物、粥を供え終わっている」
ふらふらと歩くクラウドの手を引くジェネシスが、クラウドに祭の進行状況を教える。家々の入り口には、菓子とともに蝋燭の火が灯されている。
クラウドは明るい火を虚ろに見ながら、思い出す。昨年はトゥアハにある自分の家でも、祭壇に穀物や獣肉を供え、家の前に菓子や灯明を置いていた。今年は自分自身が神の贄となるのだ。
セフィロスが自分の命を受け取ったら、ドゥーンやトゥアハは今にも増して豊かになるだろうか。そうなれば、嬉しいことこのうえない。それだけで、自分が生きてきた意味がある。クラウドは微笑んだ。
人垣の間を歩き、クラウドはジェネシスとともにシーの上を登る。丘の頂上には赤々と燃える火と、そそり立った大石が環状に並べられている。火のまえに、白のセイヨンとチュニックを身に纏い、樫で作った杖を持ったドルイドたちがいた。
ドルイドの長・リーヴの前にクラウドが立つと、リーヴの隣にいるドルイドが金の角杯をリーヴに差し出した。
受け取った角杯をクラウドに手渡し、リーヴが告げた。
「最期の美酒だ、飲みなさい」
言われたとおり、クラウドは角杯に入ったワインを飲む。晩餐に飲んだワインより渋味が強く、身体を強烈に麻痺させる。
角杯を地面に落とし、クラウドの意識が飛んだ。
いつの間にか、セフィロスがクラウドの前にいる。セフィロスの腕に抱かれ、背を支えられていた。
周りを見渡すと、屹立する数々の岩の間に立っていると分かる。クラウドの目から見下ろす場所に大きな焚き火が燃え上がっていた。
『セフィロス、俺は……』
クラウドがセフィロスに今の現状を訊ねると、セフィロスは火の向こうに目配せする。
火を隔てて広がる光景に、クラウドは息を飲んだ。
『おまえの肉体の終わりが来る。
今のおまえは、呪いの施された酒により、肉体と魂を切り離された状態だ。
だが、まだ完全ではない、肉体が死を迎えていない』
セフィロスの告げた真実に、クラウドは先ほど麻酔作用のある酒を飲まされたのだと理解する。そして食事や食中酒にも、それらの効果のある食材が使われていたのだと知る。
痛みがないように死を迎える――セフィロスがリーヴに託宣してそうし向けたのだが、セフィロスの言いつけを守り、リーヴたちはクラウドを肉体の死の痛みから遠ざけてくれた。
セフィロスの腕のなかで、クラウドは自らの命が絶たれる儀式を見つめていた。
ジェネシスや他のフィリが竪琴を掻き鳴らしながら、神や死者を言祝ぐ呪歌を謡い、リーヴやドルイドたちが死にゆくクラウドに向け呪言を唱えていた。その周りでは、巫女や呪術師が狂ったように舞い踊っていた。
クラウドの命に引導を渡す死の呪術師により、クラウドの首に填められていたトルクが外され、セイヨンと腰布を脱がされる。一糸纏わぬ姿にされた抜け殻のクラウドは、濁った眼を焚き火に向けていた。
呪術師がクラウドの首に短剣を深々と刺し、真横に掻き斬る。大量の鮮血が呪術師の顔に散り、シーのなかに吸い込まれた。
『……あ、身体が軽くなった』
儀式の一部始終を見ていたクラウドは、肉体特有の重さが自分から取り除かれたのを感じた。――肉体が、死んだのだ。
セフィロスもクラウドの命が捧げられたのを察し、クラウドの魂を抱く腕の力を強くする。
呪術師の手により掲げられた血みどろのクラウドの亡骸に、熱狂の渦のなかにあった民衆は歓声を上げた。クラウドの死骸は紅蓮の炎のなかに投げ入れられ、焼かれていった。これによって、クラウドの肉体もシーの下の霊に捧げられたことになった。
リーヴが環状列石のなかにいるセフィロスに向け、呪言を告げ託宣を望む。セフィロスは頷いた。リーヴは頭を下げ、民衆に向き直った。
「喜べみな、来年も豊作になる。
神は民を守護し、戦の不敗を約束された」
聖なる予言に、ルイリーや民衆は歓喜の叫びをあげた。
クラウドはセフィロスとともに、夜空に飛ぶ妖精や祖霊を見上げていた。妖精や祖霊はそれぞれの故地や縁の家に行こうとしているのだ。
神のために燃やされた聖なる火は、自然に消火されるまで燃え続ける。クラウドの肉体も、灰となって消えるだろう。
セフィロスはクラウドの肩を抱き、開いた異界の入り口に誘った。クラウドはそれに従い、セフィロスとともにティル・ナ・ノグに潜っていった。
祭の盛況のなか、エリンは新しい年を迎え、本格的な冬になった。太陽の力が弱まる、眠りの時期に入った。
冬を越し初春となり、年の節目の祭――インボルグが近づいている。ドルイドたちはインボルグの主祭神・女神ブリギットによる牧草への清めと、牛や山羊の乳の出の守護を期待し、祭の準備に入っている。
この祭では、若者の配偶者の占いも行われて、若い男女が華やぐ時期でもある。
ザックスは神のいるシーを、悲哀を以て眺めている。親友だったクラウドが贄となったサウィンは昨日のことのようであるのに、もう春がやってくるのだ。
クラウドは自分のことを忘れろと言ったが、ザックスは忘れていなかった。サウィンの最中、ザックスはクラウドが焼べられた焚き火が消えるまで、ずっと見つめ続けていた。
あれから四ヶ月、日常はクラウドが居た頃と同じように過ぎ、戦士としての訓練も続けている。アンジールの温もりがクラウドの不在を慰めてくれる。だがこころにぽっかり空いた穴が埋まらない。
クラウドのことを想い続けていると、シーの下にいる神の怒りを買うとアンジールが言う。重々承知しているが、クラウドが生きていたことを忘れると、クラウドの生きた事実自体が無くなってしまうような気がするのだ。
「クラウド……おまえティル・ナ・ノグで幸せに暮らしているのか?
神に愛され、満たされているのか?」
リーヴに約したとおり、神はドゥーンやトゥアハに恵みを与え続けている。冬の辛い時期も、神は狩りの獲物を与えてくれており、貯蔵していた酒や穀物も有り余るほど残っている。
神が約のとおりにしているということは、クラウドが神を満足させているということだろう。クラウドは贄として役目をちゃんと果たした。
ティル・ナ・ノグは老いを知らぬ楽園。美しい宝石に囲まれた宮殿のなかで、クラウドは神とともに暮らしているだろう。
クラウドが幸せなら、それでいいのかもしれない……ザックスはそう思い、微笑む。
そのとき、近寄ってくる気配がある。ザックスが振り向き、大地に膝を着けた。
「ルーファウスさま……」
レノを連れたルーファウスが、セイヨンを翻しザックスの前に立ち止まった。ルーファウスはザックスを見下ろし、シーを眺める。
「おまえは、いまでもクラウドを思い出すのか」
クラウドを寵愛していたルイリーの子の言葉に、ザックスは言う言葉が見つからない。
「わたしはもうあいつを思い出さないことにした。あいつは神の贄となるため、ドゥーンに来たのだ。
贄に決まる前の夜、クラウドはわたしにドゥーンに来る前から神の夢を見ていたと語った。
クラウドは生前から神の寵愛を受けていたのだ。はじめから、クラウドは神に偶されるべき存在だったのだ。
畢竟、あいつ人間のものになる存在ではなかったのだ」
ザックスはルーファウスの独白を黙って聞いていた。
ルーファウスはザックスに微笑み、口を開く。
「クラウドを想うなとは言わぬが、おまえは生きている者のことを忘れるな。
おまえを大事に想う者を、いつかおまえが一生を共にする者を想い続けるがいい。
クラウドはおまえを愛していた。必ず、おまえに幸いを与えてくれるだろう」
そう言い残し、ルーファウスはザックスのもとから去っていった。
ザックスは再び丘を見る。
「クラウド……いまはおまえを思い出して辛い。
けど、いつかおまえを思い出さないくらい、誰かを愛するようになるかもしれない。
……それでも、いいよな?」
淡い笑みを浮かべると、ザックスは集落のなかに戻っていった。
クラウドはセフィロスの地下宮殿のなかで、よく磨かれた鏡を通し、ドゥーンやトゥアハの人々の生活を見つめ続けていた。
ティル・ナ・ノグは気候の変化もなく、明るい緑の野が広がり、花が咲き乱れ林檎やぶどうがたわわに実る国だった。ワインや豚などの食物が常に満ち、老いや餓えることを知らない。死者が楽しく過ごす国だった。
地下に降りてから、クラウドはセフィロスが寝床の共たる男をひとりも持っていないことを知った。クラウドに出会う前は適当に侍る相手もいたようだが、クラウドを愛してからはそういう相手をひとりも置いていないようだった。
そんなセフィロスだから、クラウドが地下の住人になってから一時も放そうとしない。水晶やルビーで飾られた宮殿の、金や銀の豪華な細工をされた寝台のなかで、常に身体を繋ぎ愛欲を貪っていた。
愛し合い疲れた身体を休めているとき、クラウドは不意にザックスの呟きを聞いた。寝台から鏡に目を移し此岸の様子を浮かび上がらせると、悲哀に満ちた瞳でシーを見るザックスが現れた。
自分を忘れていない彼の気持ちに、クラウドは少し悲しくなった。
「まだひとの世の柵を引きずっているのか?」
隣で寝ていたセフィロスが、寝床から半身を起こし、クラウドの身体に腕を絡めてくる。クラウドは首を振る。
「そんなことはありません。ただ、あいつが俺を忘れないでくれたことが嬉しかったんです。
俺はあいつに忘れろ、と言ったんです。けれど、あいつは俺を忘れていない。
あいつには、いつかきっと俺を忘れるくらい大事なひとができると思うんです。そして幸せになると思うんです。
そうやってあいつが自然に俺を思い出さなくなると、俺は嬉しい」
セフィロスはクラウドの穏やかな語りに、眉をしかめ、寝床に横たわる。
「おまえをこの世から完全に引き離そうと思い贄という形で求めたのだが、なかなかそうはならんな」
溜め息を吐いたセフィロスに、クラウドはクスリと笑い、セフィロスに抱きつく。
「そんなことはありませんよ。時折思い出すだけで、今はほとんどあなたのことしか考えてません」
「本当か?」
クラウドを下敷きにし、素肌を愛撫し始めるセフィロスに、クラウドは身体をくねらせながらくすくす笑う。
セフィロスに胸の尖りを軽く噛まれ、舌で細やかに突かれる。身体に広がっていく快感に、クラウドは喘ぎながら言った。
「俺はあなたにこの身を捧げるために、あなたのもとに来たのです。
俺が知ったどの人間より、俺を愛してくれたのがあなただった。
そして、俺自身が求めるのもあなたなんです。それは、幼い頃から変わらなかった」
サウィンの夜だけ夢に現れる美しい銀髪の青年に、クラウドは怖がりながらも魅入られていた。だから、クラウドはドゥーンに入りエリンの風習を受けるようになっても、セフィロス以上に想う相手が現れなかった。ザックスやルーファウスに対して、セフィロス程に慕わしさを感じなかった。
クラウドは今セフィロスのもとにあって、幸せに暮らしている。嫉妬深いセフィロスの詮索の眼に苦笑いするときもあるが、セフィロスに深く愛され、そしてクラウド自身も愛し満たされている。
常に交わり緩まっているクラウドの後華に、セフィロスの猛々しいものが入ってくる。クラウドは自ら腰を動かし、呻きながらセフィロスを積極的に感じた。
「あッ、はぁッ…んッ……セフィ……ッ」
神であり恋人である男を後ろの花弁で締め付けながら、クラウドは切なくセフィロスを呼び続ける。セフィロスは、荒い息を吐きながら、クラウドの濡れた高ぶりを刺激していた。
「ンンッ! ンアァァッ……!」
クラウドが絶頂に達したと同時に、セフィロスはクラウドのなかに想いを流し込んだ。
身体が弛緩するのを待って、クラウドは自身にもたれ掛かるセフィロスに尋ねる。
「セフィロス、インボルグの祭でも女神に取り次いでくれるのでしょう?
お願いだから、ザックスがいい女性と会えるようにしてください」
セフィロスは苦笑しながら頷き、クラウドに接吻する。
シーにいるトゥアハ・デ・ダナーンは、年の節目の祭に民の願いを祭の主祭神に伝える。
陽気で太っ腹なダグダは、サウィンの祭でクラウドの犠牲がなくても、初めからドゥーンへの豊饒を注ごうとしていた。が、セフィロスの起こした無茶に爆笑し、ダグダは祭で勝手をしたセフィロスを許した。
インボルグの女神ブリギットも、クラウドに大甘なセフィロスの願いを、呆れつつもきっと聞いてくれるだろう。
再び情熱のときに入ろうとしているセフィロスに、クラウドは微笑んだ。
クラウドが去って季節が巡り、ドゥーンにサウィンの時期が訪れた。ひとびとは作物を収穫し、獣肉を貯蔵するため加工する。
クラウドはセフィロスと共に、常にドゥーンやトゥアハを見守り続けた。
インボルグの祈りが実り、可愛く積極的な女性と出会い恋に落ちたザックスの幸せそうな姿を、クラウドは自分の幸せのように思い眺めた。
神々の大いなる恵みに浸され、エリンのひとびとは生き続ける。
神とひととの仲介者であるドルイドやフィリは、年の節目に神々に供物を捧げ、儀礼を行う。
古の神々とともに生きた人々がいた島・エリン。
時代が代わり違う神が島を支配しても、人々は古い神々を忘れなかった。
サウィンは新しい神の祭に形を変えて組み込まれ、ハロウィンとして残った。神々は今も妖精としてこの世にいると人々に信じられている。
エリン――アイルランドの人々は、ハロウィンとともにサウィンの祭を今も行っている。
end
*あとがき*
長いパラレル小説を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
話の途中に残酷描写――それも主人公が生け贄になっちゃったりしましたが、大丈夫だったでしょうか?
読者の方に引かれてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしながら書いていました(;^_^A。
今回はハロウィンにあやかって何かを書こうと思い、ハロウィンの起源を調べたら、ありゃこれ面白いかもよ? と短絡的に思い、サウィン祭をネタにしました。
で、サウィン祭の細かいディテールを調べたら、案外どの本にも載ってないんですよね。なので、ネットで書かれていた情報などを参考にしながら自分で想像して祭の情景を書きました。
あと、ケルトの祭だというので、ケルト神話やケルト民族に関しても調べまくりました。今まで「クリ○タル☆ド○ゴン」で得たくらいしかケルトの知識を持っていなかったので、いい勉強になりました。
で、なるべくケルトっぽい雰囲気を出そうと細かい背景を書いていったら、FF7のキャラクターの名を借りたオリジナル小説くさくなったというオチがあったり、ファンタジーというより歴史幻想小説だろ? という内容になったり自分的意外性もありました。
わたしがパラレルを書いたらこんな感じになりますが、これからも機会があればパラレルを書きたいと思いますので、よろしくお願いします。
……にしても、ケルトに男色の習俗があっったのには驚きました(笑)。ローマ人の書いた歴史書に男色の事実が書かれていたんです。
まぁ、ケルトの研究者の方は、ケルトを見下していたローマ人の書いた記述だから、偏見もあるだろうとありましたが、そのローマで少年愛が流行っていたのも事実だし、日本でも武家社会で男色があったのも確かだし、あり得ないことはないと思うんですよね。
ケルトは戦士優遇社会で、戦場でぎりぎりのやりとりをする戦士たちが結束を固めるには、男色という絆が理想的だったというのがあると思うんですが。
あと、巨石文明や森や山、泉を神とみなすアニミズム的宗教観が、個人的に好きだったりします。
そういう意味では、ドルイド教社会を書くのは楽しかったです(生け贄の描写は、アレですが。汗)。
イギリスやアイルランドの巨石文明の遺跡を、いつかこの目で見てみたいです。
紫 蘭
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