「いやらしいことばっか考えてた?」


 きりりと冷たい泉に身を浸し、朝の禊ぎを終えると、瀬織津姫(せおりつひめ)は岸に上がり侍女・澄江(すえ)から麻の手拭いを受け取った。
 忌名を狭依(さより)という瀬織津姫は、出雲王朝の水の巫女姫である。
 天祖である太陽神・天照国照大神に仕える彼女は、天祖の妻神で月と水の女神である天后・高照下照姫の現し身と見なされている。
 澄江は乳母の娘で、姉妹のようにして育ち、現在も近しく仕えている。瀬織津姫が誰よりも本音で話せるのが、彼女だ。なにしろ、今は乳母にも言えない秘密を抱えているのだから――。

「わたくしは殿方をお迎えしたけれど、変わらず水の聖霊のお気に召していただけたから、よかったわ。
 なにしろ、天后の現し身となるには、水脈を感じ取れねばならぬのだもの。
 以前と些かも変わらず、水の聖霊はわたくしに親しみを感じ、わたくしと饒速日様との仲を喜んで下さっているのを感じるのよ」

 水気をふんだんに含んだ波打つ髪を拭いつつ、瀬織津姫は照れたように言う。
 恋するひとと結ばれたことにより、巫女としての能力を失うかと憂慮していたが、強運にも霊力は消えず以前より増している。
 愛するひとに夜毎愛でられ、なおかつ巫女を続けていられる己は恵まれている、と瀬織津姫は微笑む。
 澄江も喜ばしいことですわ、と頷いた。


 月の麗らかな夜、瀬織津姫は父・那牟璽(なむじ)の依り人である須佐之男(すさのお)の御子・饒速日(にぎはやひ)の夜這いを受けた。
 あれから太陽の死と再生の日まで、こころ細く身を切られるような目にあった。
 いのちの瀬戸際を潜り抜け、いま正々堂々と妹背として顔を合わすことが出来る。
 嘘のような奇跡が起こったこと、それが何より幸せなのだと瀬織津姫は回想しつつ思う。





 満月の次の日――。
 朝靄のなか、大切な背の君となった饒速日を社のなかから見送りながら、瀬織津姫はこれから来るかもしれない事態の覚悟をしていた。
 天祖に捧げられた者であり、不侵不犯を戒められている水の巫女姫に通う暴挙を犯した饒速日である。
 が、瀬織津姫は愛するひとの安全無事を確信している。

 ――若日子(わかひこ。饒速日の幼名)の兄上は、天祖・天照国照大神様の現し身だもの。
 若日子の兄上が天祖様ならば、わたくしに通っても咎められない。

 饒速日にはまことしやかに囁かれる噂があった。
 瀬織津姫の父である大国主・那牟璽(なむじ)の従姉・稲田姫(いなだひめ)が彼の母である。
 彼女は先代の水の巫女姫より

 ――王女は天祖を宿す。

 と予言されていた。
 永々と続いてきた出雲族には、ある預言があった。――出雲族の血統のなかに、天祖の現し身が現れる、と。
 天祖を生む王女として、また水の巫女姫に次ぐ力のある巫女として稲田姫は敬われ、丁重に扱われていた。
 が、海を越えてやってきたよそ者である須佐之男が稲田姫を奪ったため、那牟璽の父である先の大国主は、ふたりの結婚を認めるかわりに天祖の再来である赤子――饒速日を出雲族の手元に差し出すよう要求した。
 かくて、後に饒速日と美称される男児・若日子は那牟璽の養子となり、瀬織津姫の兄・都弥浪(つみは)を友として育った。
 若日子と狭依は七つ歳が離れており、幼かった彼女は若日子を兄のように慕った。若日子も狭依を愛しく思うようになった。
 が、四歳にして水の聖霊とこころを通わす能力を人に知られ、狭依は次代の水の巫女姫として真奈井の神社(かみのやしろ)に召された。
 そこは男子禁制で、父・那牟璽や兄・都弥浪に会うことはおろか、義兄である若日子と同じ空間に居ることは出来なくなってしまった。
 長い年月会えない間に、狭依のなかの若日子との思い出は濃く大きくなっていった。
 凛々しく成長し、政にも参加し始めた若日子が、彼の器量や才覚に惹かれた者達に「饒速日」と称されるようになったのを社のうちから聞き、彼女は秘かに憧れていた。

 それはまた饒速日も同じだった。
 祭事の折々に、天祖に祈りを捧げ、天后の依り代となって舞う狭依の美麗さに、饒速日は魂を絡めとられた。
 比類ない霊力に畏怖して、人々が彼女を「瀬織津姫」と讃えるようになったのを、彼は賛嘆して耳に留めていた。

 が、決定的になったのは、禊場の滝に打たれる瀬織津姫を饒速日が覗き見してしまったことだ。
 水に濡れた薄衣が素肌にぴたりと張りつき、たおやかな身体の線をくっきり浮き上がらせている。
 物憂げな表情が秀麗な容貌に艶を持たせ、匂やかな色香を漂わせていた。

 饒速日は血潮が沸き立つのを止められなかった。
 危険を承知しながらも禁忌を犯し、彼は神域に忍びこんだ。
 そんな彼を、時折垣間見て焦がれていた瀬織津姫は拒まなかった。
 忍びやかに愛を囁きあい夜を重ねたが、いつしかふたりの艶聞は世にたゆたうところとなり、大国主・那牟璽に知られるところとなった。

 那牟璽は驚かず、ふたりの婚姻を受けて至極冷静に密儀の準備を神社に命じた。
 それは恐ろしく身も凍る儀礼だった。

 ――天祖は人の身から一度死に、神として復活する――。

 天祖に纏わる死と再生の秘儀が、密やかに出雲族の直系に伝わっていた。

 ――天祖の現し身である者は聖なる贄として、天后に命を捧げねばならない。霊力のある現し身ならば、天祖だけが扱える十種の瑞宝が力を貸すだろう、と――。

 十種の瑞宝は天祖由来のものとして、神社に祀られてきたものである。朝晩、瀬織津姫はこの宝具に額ずいている。

 天祖の再来と預言されていた饒速日を、那牟璽はいつか密儀に掛けねばならぬ、と思っていた。
 そして、天后の現し身を娶るには、天祖の再来の資格を持ってせねば、成立しない――。
 事態がどうであれ、来るべきときが来ただけだと、那牟璽は瀬織津姫に説明した。

 瀬織津姫にとっては残酷すぎる秘儀である。
 彼女は儀礼の斎主となり、天祖の現し身の胤を受けたあと、彼の喉頸を短刀で掻き斬らねばならなかったのだから。
 彼女は何度も拒んだ。神域の巫や父から強く言われても、首を縦に振ろうとしなかった。
 が、饒速日に

 ――今ある障害に打ち勝てずして、これからやっていけようか。わたしの身に課せられた宿命の意図も、これではっきりする。

 確固とした眼差しで告げられ、瀬織津姫は頷かずにはおれなくなった。
 饒速日も自身に纏わる宿命に煩悶を抱いていたのである。

 ――己が本当に天祖の再来か自信はない。
 預言のために父母兄弟と離され、出雲族の虜囚として身を置かねばならなかった。
 が、今回のことで己の運命の是否が決まる。一か八かの賭けだ。

 万一の場合、死なねばならぬかもしれないのに、彼の面は陰りが拭われたようにすっきりしていた。
 彼の澄み切った様子に、瀬織津姫は従うしかなかった。

 太陽が最も勢いをなくす冬の日。
 海に面した加賀の磐屋を祭儀の場とし、清めたのちに祭りの進行を見守る巫二人と主役である饒速日と瀬織津姫が入った。
 外は出雲王朝始まって以来の奇しき祭儀に、声が割れんばかりに盛り上がり、ざわめいている。
 据えられた祭壇には、妖しく虹色に輝く銀らしき十の宝具。
 そのひとつを手に取り、饒速日は呟いた。

「わたしが本当に天祖の再来ならば、この瑞宝は力を貸してくれるのか――」

 本来なら天祖に纏わる神宝なので、水の巫女姫以外の者が触れるのは厳禁だ。が、饒速日は天祖の再来と目されているので、ここにいる者全て、誰も咎めない。
 巫が土器(かわらけ)に入った燭の油に火を点けるのを見ながら、瀬織津姫は応えた。

「なんでも、天祖様が実際に扱っていらっしゃった宝具だとか。
 強大な力と天祖様にしか使えない呪により、この宝具のあやかしの力は引き出されるそうですわ」

 何か思うところがあったのか、饒速日は暫し黙り込んでいる。
 が、祭儀の始まりを知らせる銅鐸の音に、彼は神宝を祭壇に置き、斎主や巫に向き直った。
 無言で巫が二人分、葡萄を醸した酒をめのうの杯に注ぎ、祭儀の主に差し出した。
 行程では、酒を飲み干したあと、巫たちが見守るなか祭壇の前に据えられた石の台のうえで交接をせねばならない。
 酒杯を空にしたあと、饒速日は緊張と嫌悪で竦む瀬織津姫の身体を柔らかく抱き締め、耳元に囁いた。

「――わたしを信じろ。天祖として必ず甦る」

 瞳に凝る涙を押さえ頷いた瀬織津姫に微笑み、饒速日は彼女の白い額に口付けた。

 祭儀の交わりは、斎主である水の巫女姫が主体となって為さねばならない。
 衣を脱がされ仰臥する饒速日の男根をゆるりと擦りながら、瀬織津姫も生まれたままの姿で台に上がる。
 たおやかな掌で柔々と上下に撫でられ、彼は呻く。先端の割れ目を指で捏ねられ、萎れていた牡がむくり、と鎌首をもたげ始める。

「アウッ……ウゥッ……」

 饒速日から、悦楽の喘ぎが漏れ始める。
 快感を感じ始めたのだ――瀬織津姫は早くも滲みだした先走りを舐めとり、雄々しく変化したそれを口に含む。
 唾液を絡めて舌を動かし、一心不乱に愉悦を誘う。必死で顔を動かし頬の肉を窄めて肉柱を吸引する。飽和する唾液が淫らな音を奏でる。
 肉体を繋げることが可能なくらい雄物が角度を付けたとき、瀬織津姫は饒速日の腰の上にまたがり、男根を軽く掴んで自らの女陰に導いた。そこは既に洪水のように情熱を湛えていた。

「ンアゥッ――!」

 花蜜で濡れそぼった壺は細やかな蠢きをもたらしながら、楔を包み込む。直に花びらの刺激を受けた雄蕊は震え、堪らず動きだす。

「アァンッ、ハアァッ……ッ」

 瀬織津姫は自ら肢体を上下に揺する。柔軟な襞は牡に絡み付き、淫らに締め付ける。

「姫……姫……ッ」

 情熱に駆られ、半身を起こすと饒速日は愛するひとに深く接吻した。唾液を啜り合い、舌を絡めあった。
 人目があるのを憚らず、ふたりは激しく交合する。
 もしかすると、最期の逢瀬かもしれない、という思いが、恥じらいをかなぐり捨てさせた。
 饒速日は下から瀬織津姫の豊かな乳房を揉む。撓む果実は彼の手に従って柔軟に変化し、胸乳の頂きのしこりは彼に応えてこれ以上ないくらい尖る。誘われて、饒速日は木の実を指で摘んだ。
 途端、瀬織津姫は弾み、中にある固まりを強く締め付けた。

「ウッ!……」

 強引な締め付けに、饒速日は喘ぎ、なおも責め立てようと滂沱の蜜を溢す結合部を探り、実りきった花核を空いた片手で嬲った。

「イヤッ、アアァァッ」

 髪を振り乱し、瀬織津姫は濃艶に乱れる。激しく刺し貫かれ、自らも能動的に陽物を喰らい、蠕動する。

 そのとき、磐屋の外から、どよめきがあがった。

「に、日食だッ――!」

 磐屋に差し込む日光の量が少なくなり、段々と暗さを増す。
 太陽と月が重なっている――。
 磐屋のうちだけでなく、外でも聖なる婚姻が行われていることに、介添えの巫たちは驚愕した。

 じゅぶずぶと、淫猥な水音が男女の喘ぎ声とともに磐屋に響く。
 交わりの終わりが近付きつつあった。
 主導権を握る瀬織津姫の動きが、下からの突き上げに追い立てられ早くなる。
 更になまめかしく蠢動し吸引する陰部(ほと)に、陽根は必死であらがい奥に注挿する。
 乳房や花芽を愛撫する手も、連動して激しくなる。女体は絶頂に向かうのを抗がえない。

「アァアッ! ハアァァァァッ――!」

 つややかな喘ぎとともに、どっと出る淫蜜。
 絞り上げるように絡み付く膣壁に逆らえず、饒速日は女神の化身の子宮に胤を放った――。

 汗に塗れた男の胸に臥し、痺れて動けない瀬織津姫の手に、細長い硬質の獲物を握らせる者が。
 彼女は朦朧とする目で、艶熟した場の雰囲気を壊す者を見る。

「祭儀の締めをお願いします」

 蕩けていた思考が、すうっと醒める。戻ってきた現実に、瀬織津姫は小さく悲鳴を洩らした。
 握らされた物は――短刀だった。これで、愛するひとの命を奪わねばならぬのだ。
 いやいやと、小さく首を振る彼女の頬に、暖かく愛しい温もりが触れる。

「……迷わずに。早く、わたしは大丈夫、必ず甦る」

 確信に満ちた饒速日の眼。
 透明で自信を漲らせた視線に、泣きながら瀬織津姫は頷いた。

「若日子さま……我が背の君……。必ずわたくしのもとに還ってきて下さいませ……」

 震える声で言い、彼女は短刀を抜いた。
 饒速日は何事かを呟いている。

「奥津鏡……辺津鏡……八握剣……生玉……死反玉……足玉……道反玉……蛇比礼……蜂比礼……品物比礼……。
 ひと、ふた、みよ、いつ、むゆ、ななや、ここのたり……ふるへゆらゆらとふるへ……」

 巫たちは、はっと耳をそばだてる。聞いたことのない呪だった。

「奥津鏡……辺津鏡……八握剣……生玉……死反玉……足玉……道反玉……蛇比礼……蜂比礼……品物比礼……。
 ひと、ふた、みよ、いつ、むゆ、ななや、ここのたり……ふるへゆらゆらとふるへ……」

 喉元に鋭利な刄を押し当てられても、饒速日の詠唱は不思議な倍音を宿して、なおも続く。

 唇を強く引き結び、瀬織津姫は苦しませぬよう、一気に愛するひとの首筋を掻き斬った。

 止む声明。石台を流れ落ちる血。閉じられたまま開かない目蓋――。
 愛しい男根を未だ胎内に留めたまま、瀬織津姫はこときれてしまった饒速日を食い入るように見つめていた。
 磐屋の外も、月が太陽を食い尽くしたままだった。濃い闇が、天地を占めていた。

 巫のひとりが饒速日の首筋から流出する血を白い布に浸し、磐屋から出る。熱狂する民衆に血染めの布を晒し、儀式が滞りなく進んでいることを示す。
 名望を浴びる饒速日のいのちが断たれたことに、衆人の声がぴたりと止んだ。次いで、ざわざわと鬨の声が発ち、巫を非難するものまで現れた。
 饒速日のいのちが失われたことに皆が動揺し、本気で失望している。
 彼は知らぬ間に出雲の民の愛を一身に受けていたのだ。
 饒速日を惜しむ声の大きさに、那牟璽は危局を感じる。饒速日の存在を軽く見ていた訳ではないが、このままでは人民の恨みを買い、出雲王朝転覆の窮地に陥るかもしれない。
 那牟璽は祈る思いで加賀の磐屋を見詰めた。

 瀬織津姫もまた、絶大な不安に苛まれている。
 愛するひとが甦らなかったらどうしよう。このまま、このひとを失うのか――。
 堪らなく嫌だった。愛するひとを黄泉の彼方に拉し去られるのは、堪え難かった。
 思わず、瀬織津姫は美しい死者の肩を揺する。

「嫌ですッ!! 起きて!! わたくしを置いていかないでッ――!!」

 彼女は号泣していた。
 このまま彼が戻らないと、取り返しのつかないことになる。我が手で愛するひとの命を奪い、永遠に失うのか――。

 そのとき、十種の瑞宝が鈍い光を放ち、またも磐屋のそとで、どよめきが起こった。

「太陽が……顔を覗かせたぞ――ッ!」

 瀬織津姫は振り仰ぎ、磐屋の入り口を見た。微かに、光が差し込んでいる――。

「……ァッ!」

 瀬織津姫は僅かに身震いする。

 身体のうちにある彼が、秘かに顫動したのだ。

 ――まさか……まさか。

 彼女は期待を込めて、饒速日を見下ろす。
 堅く閉じられていた瞼が、薄らと開き、血の気を失っていた唇に赤みが戻ると、やがて小さく笑みを刻んだ――。


 饒速日は一度絶命しながらも、復活した。
 間違いなく、彼は天祖の再来だったのだ。
 息絶えていたのは束の間で、以前よりもいのちは強い輝きをやどしている。
 磐屋から出てきた饒速日の自然な立ち姿に、観衆は感動の叫びを上げた。
 威厳を見せる彼のうえに、力強い太陽光が燦々と降り注いだ――。

 祭儀を終え朝政に復帰した饒速日は、前よりも人民に慕われ、任される政務が多くなった。
 負っている責務は都弥浪よりも多く、彼がどれだけ大国主に買われているか皆に認知された。

 堂々と妹背になった饒速日と瀬織津姫は、那牟璽の計らいにより、通い婚ができるよう、神域の一角に離れを設けて住まいとした。
 昼はともに為さねばならぬことがあるため、別々に居るが、夜は離れで共寝している。
 祭儀の前より一緒にいることが多くなり、瀬織津姫は気付いたことがある。

 ――やはり天祖の再来といわれるだけあって、若日子さまは巫としての霊力をお持ちなのだわ。それも並の巫とは違う、一等級の。

 霊力といっても、瀬織津姫と同質のものではない。
 太陽神である天祖の霊力の系統――つまり、太陽の霊気の持ち主である。それも、只事ではない力の大きさであり、方向性が違うが、巫女姫である瀬織津姫と同等、否、それ以上である。
 饒速日が当たり前のような顔をして浄化や祓、癒しの波動を送るのを見て、瀬織津姫は驚きを隠せなかった。
 祭儀の頂点、命の瀬戸際に立たされたとき、彼は誰も知らない呪を呟いていた。おそらく、あれが天祖だけが扱った呪なのだろうが、未知の呪を唱え、巫女姫である瀬織津姫さえ畏れ戦く神宝の呪力を発動させた饒速日に、彼女は微かに畏怖を覚える。

 ――巫として優れているだけでなく、天祖の再来と認められた若日子さまを、誰も放っておかないだろう。
 これから大波に呑まれる人生を送られるに違いない。

 複雑な思いに駆られたが、蕩けるような幸せが不安を凌駕し、瀬織津姫は愛しいひとの暖かさに酔っていた。





「……さま、姫さま!」

 我に返り、瀬織津姫は澄江を見る。

「もう、またぼうっとなされていたんですか?」
「あ、違うのよ。祭儀の日のことを思い出していて……」

 長い間微動だにせず佇んでいたのか、髪は生乾きの状態になり、薄い浄衣も水分がなくなっている。
 瀬織津姫は髪とともに掴んでいた手拭いを慌てて澄江に渡し、白衣を引き掛ける。

「最近、よく放心なさってますね。さては、幸せ惚けですか」

 にやにやと笑い言う澄江に、瀬織津姫はかぁっと赤くなる。綻びかけた木瓜の花が酔いを含んで花開いた風情に、侍女はやれやれ、とため息を吐く。
 確かに、乳母には言えないことだ。
 乳母は瀬織津姫を清らかで一点の染みもない楚々とした娘として育て、思うように成長した彼女に誇りを持っていた。
 それなのに、昼の明るさなど関係なく夜の陶然とした記憶を追いかけ、春情を醸しているのだから。乳母が見れば酷く嘆くだろう。

 ――姫様は淫乱になってしまわれた!

 と。
 母にばれてしまうのは後々厄介なので、澄江は近頃の瀬織津姫の様子を自分だけの胸に留めている。
 乳姉が思ん計って秘密にしてくれたので、瀬織津姫は心底助かったと思っている。
 それでも、今の己は問題が多いと彼女は憂慮する。

 ――わたくしったら、女神の依り代である巫女姫でありながら、閨での戯れを思い出すなんて、慎みがないわ……。

 最近の己ははしたない、と瀬織津姫は思う。
 祭儀の日の悲しみと喜びを感慨深く思い出していたまではよかった。
 問題は、木の香の芳しい新床に移り、饒速日を待つようになって、それから……と思考を深めていき、あられもない記憶を手繰り寄せ、味わってしまったことだ。

「今日は殯を終えた人々を入海(宍道湖)に埋葬する儀がありますので、そのつもりで頭を切り替えて下さいね」

 澄江に釘を刺され、瀬織津姫は肩を竦める。
 神社に戻り白衣に着替え、勾玉や管玉・丸玉を連ねた御統(みすまる)を胸に飾り、魔除けの比礼を腕に掛ける。鈴をあしらった釧を手首に身につけ、巫女姫としての正装を着付け終えると、先程の緩んだ表情は跡形もなく、気高い水の巫女姫としての面差しに早変わりしていた。

 王都がある杵築(きづき)から入海は離れており、手輿で移動する。
 満々と水を湛えた入海は天后の子宮。未通女のまま亡くなった婦人や妊婦、生後間もない赤子は天后の腹に戻り、新たな肉を纏って甦る。
 位ある貴人は死亡したあと、出雲の四方にある神奈備山に晒され風化を待ち埋葬する。このとき霊を祀るのは火の巫である。
 入海での霊鎮めは水の巫女姫の役目なので、昼日中の眩しさながら出向いたのである。
 とはいえ、巫女姫が直接亡骸に触れるわけではない。種々の神術を巫女姫が為す間に、幾人かの奴が重しを付けた空船(うつろぶね)の棺を入海に流す。岸辺に焚かれた煙に送られ、死者は黄泉に赴くのである。

 瀬織津姫が神社に戻った頃には、既に日は陰り空が茜色に染まっていた。
 夕べの祭礼を終えたあと、神域に現われたふたりの人に、彼女はどきりとした。

 ――若日子さま……。

 兄である都弥浪と、夫である饒速日が並んで座していた。
 男子禁制の神域であるが、政務の伺いを立てるために来ることがある。その時は、神域の入り口にある参集殿で巫女姫とあうことになっている。

「巫女姫にお願いしたき議があって、まかり来した。
 三日後に、伯耆国の溝昨姫(みぞくいひめ)が我が国に参られるとのこと。
 そこで、忌部神戸温湯(いんべかむどのゆ)に滞在していただこうと思っているのだが、巫女姫に温湯の聖霊に祈っていただき、客人が安寧に過ごせるよう計らっていただきたい」

 都弥浪が薄らと頬を染めながら、それでも堂々と言う。
 饒速日はそんな彼を、面白そうに眺めていた。

「それは、構いませんが……いつも何もせずに温湯に入っていただくのに、今回は特別に細やかなお心遣いですのね。事代主の兄上」

 事代主とは、都弥浪の字である。成人したときに神や王から賜る名である。饒速日は美称がすでに世に浸透していたので、それが字になったが。
 途端に、都弥浪の顔がぼっと赤くなる。
 しどろもどろに、言葉を繰り損ねていると、饒速日が吹き出しながら後を引き取った。

「事代主は、溝昨姫に長く通っているのだ。ずっと内密に通っていたのだが、義父上や正后(むかいめ)の須勢理姫さまに知られてしまい、問い詰められて今度姫を連れてくることになった」

 くっくっと笑いながら、饒速日は説明する。
 そんな姿にもときめき、またも瀬織津姫は巫女姫としての立場を忘れてしまう。入海での儀礼では泰然としていたのに、今また新妻の夢想を呼び戻してしまった。

 ――この方の笑顔を誰でも知っている。けれど、わたくしだけが知っている素顔もある。
 そう、照れてはにかんだ顔や、わたくしを求めるときの熱情を剥き出しにした瞳、絶頂に差し掛かったときのやるせなく歪んだ顔……そんな若日子さまは、わたくししか知らない。

 瀬織津姫はふたりから話されているのに、放恣に空想のなかに入ってしまう。

「……巫女姫? 瀬織津姫?」

 訝しむ都弥浪の声に、瀬織津姫ははっと意識を戻す。

「……あっ……」

 都弥浪と饒速日がじぃっと放心する彼女を見入っていた。
 今度は瀬織津姫が朱に染まり、焦る。

「……あ、はい、よろしいですわ。明日にでも温湯に参ります」

 なんとか応えを返し、都弥浪と饒速日を納得させ、瀬織津姫は参集殿の階を降りるふたりを見る。
 完全に彼らが居なくなったのを確認すると、羞恥に追い立てられ、瀬織津姫は巫女姫の控え室に逃げ込んだ。
 ひんやりとした床に突っ伏し、瀬織津姫は羞恥に火照る身体を鎮める。

 ――な、なんてこと。ふしだらなのはおろか、あんな情けない姿を若日子さまに見せてしまうなんて……。

 本当に、穴があったら入りたい。己はこんなに浮かれやすい女でなかったのに。

 ――わたくしが変わったのは若日子さまのお陰だけれど、このような変化は望ましくないわ。

 清廉な巫女姫が煩悩に染まるなど……あってはいけない。「瑞つ瀬の如く清洌で怜悧な巫女姫」という意味合いでもって付けられた「瀬織津姫」の名が、このままでは泣く。

 ――滝に打たれて、頭を冷やしてこよう。

 既に日暮れ近く、水温が下がってしまっているかもしれないが、熱を冷ますには好都合だ。
 禊場に向かうため、すっくと立ち上がり戸口を振り返る。
 そして、御簾を捲り上げ斜陽を負っている人物に気付き、瀬織津姫の心臓は跳ね上がった。

「わ、若日子さま?!
 どうして、宮処に向かわれたのではなかったのですか?!」

 動転する瀬織津姫に、食えない笑顔を見せ、饒速日は訂正した。

「義父上に名づけられた若日子は日食の日に死んだのだ。今のわたしの名は、須佐之男に名づけられた火明(ほあかり)か、字の饒速日のふたつなのだが、未だに慣れないか?」

 饒速日が誕生したとき、実父である須佐之男が火明と忌名を名づけたが、出雲に来ることによって、彼は義父である那牟璽が付けた若日子を名乗っていた。再生してから、今までの己とは区別するため、饒速日は若日子の名を捨てた。

 都弥浪とともに帰ったはずの饒速日が居て、瀬織津姫はいのちが縮みそうなほどに驚いた。
 瀬織津姫は、くすくすと笑う彼を見て、部屋に入ってから、ずっと懊悩している姿を見られていたのだと悟る。

 ――またしても……あぁ、消えてしまいたい。

 迂闊すぎる自分に、瀬織津姫は萎れ込み、何も言えない。
 独り芝居する彼女に近付き、饒速日は耳もとに甘く囁いた。

「本当に、狭依は面白いな……何を考え耽っていたのか、わたしにも教えてくれないか?」

 ぞくり、と瀬織津姫の腰が震える。空想の比ではない。生々しく、熱い。
 いゃっ……とあらがった肢体を腕に閉じ込め、饒速日は女体の臀部からほっそりとした腰までを撫で上げる。

「……ンァッ!」

 夢想になぶられた後の身体は、簡単に火が点く。ただ衣の上から撫でられただけだというのに、濡れた声が漏れてしまった。
 自身が恥ずかしい声を上げてしまったのに直ぐ様気付き、瀬織津姫は青くなる。

 饒速日は、一瞬驚きに目を丸くした。
 が、それも僅かの間だけで、笑みと色香を含んだ眼差しで頭から爪先まで眺める。

 悟られたくない人に気付かれたことに、瀬織津姫は臍を噛んだ。

「……まさか、昼最中から淫らなことを考えていたのか?」

 愉しくて仕方がないという声音。
 蛇に睨まれた蛙のように、瀬織津姫は縮こまるしかなかった。
 御簾を完全に下ろすと、いきなり饒速日は瀬織津姫を板張りの床に押し倒す。
 突然のことに驚愕している彼女の裳裾を捲り、下肢の奥に手を差し入れた。

 ぴちゃ……

「キャアッ!」

 俄かに女陰を指で割り広げられ、瀬織津姫は悲鳴をあげる。
 そこは何もしていないというのに、満々と蜜が沸き上がっていた。差し込んだ指で壺を掻き回すと、白い腿に粘液が筋を作って落ちる。

「淫らなことばかり考えていたようだな……。普通ならばこんなに溢れないだろうに」

 どこか嬉しそうな饒速日の声に、瀬織津姫は悔しくなり、言い返す。

「い、一体……アァンッ! 誰のせいで、こんなになったと……ハアァッ!」

 喘ぎに邪魔され、思うように話せない
 着重ねしている衿を寛げられ、乳房を露にされてしまい、瀬織津姫は慌てる。
 まだ、お互い任務が残っているだろう。こんなことをしている場合ではないはずだ。早く仕事に戻らなければいけない。
 だというのに、花びらを愛する饒速日の指の動きは激しさを増し、花核までも親指で皮を剥かれ擦られる。
 真白い胸乳に浮かぶ濃桃の乳首を舐められ、指で摘まれれば、瀬織津姫は責務を忘れ身悶えるしかなかった。

「ンンンッ! フアァァッ!」

 大きな喘ぎを上げてしまい、瀬織津姫は肝が冷える。参集殿にいる者に聞かれてしまったらどうしよう――。
 彼女の懸念を察してか、饒速日はおもむろに瀬織津姫に唇を重ねてくる。
 舌を絡められ、激しく吸われると、淫らな襞が蠢く指を強く締め上げる。それがまた、彼女の身体を敏感にする。
 増やされた指が膣のなかで暴れ回る。過敏な箇所を擦り、淫蜜を掻き出す。くしゃくしゃになった肌衣はぐっしょりと愛液を含んでいる。麻の白衣にまで染みがついている。
 悦楽に酔った瀬織津姫の身体は現実を忘我した。自ら逞しい背に腕を廻し、饒速日が触れやすいよう乳房を突き出している。下肢は別の生きものになったように、快楽を貪欲に感じ取ろうとしている。
 震えが大きくなる肢体に絶頂の近さを感じ、饒速日は愛撫の動きを最大に速める。
 異物を抜き差しされ麻痺する陰部と、肉芽をきゅっ、と摘まれた刺激に、「ヒウッ?!」と悲鳴を漏らし瀬織津姫は果てた。

 身を起こして肩で息をする愛しいひとを見下ろしつつ、饒速日は腰帯を解き袴を膝まで下ろす。女体を開脚させ、溶けている女陰に勃起した陽根を近付けると、一気に奥まで刺し貫き、敏速に繰り動かした。

「――――アアァァァッ!!」

 烈々しく身体を揺さぶられ、瀬織津姫は我知らず叫喚とも喘ぎとも取れない声をあげる。
 始めから容赦ない凄まじい突き。達したばかりの身体には刺激が強すぎる。中に侵入してきた異物を、膣壁は阻むように強く締め付ける。

「クウゥッ……!」

 絶大なる吸引に、饒速日は背を震わせ、負けじと素早く責める。
 遮る襞を無理矢理掻き分け猛進する剛直に、柔らかな障壁は鋭敏に逸楽を女体に送る。
 愉悦に理性を食われながら、いつもと違う、と瀬織津姫は思う。
 饒速日がこんなに性急に情事を進めたことは、今までなかった。いつもの彼は執拗で濃密ではあるけれど、もっと己を労り、激しいけれど優しく愛してくれる。
 が、今日は自分本位に身体を貪り、追い詰める。
 まだ仕事が残っているので時間がないのは解る。が、それなら夜まで待ってほしかった。
 責められ、流され、またも頂点に向かう。その忙しなさに身体が追い付かない。

「アアアァァァッ――!」

 突き上げられながら、瀬織津姫は早くも極に到達していまう。
 強引な柔襞の収縮に逆らい、何とか男根の暴発を止めると、饒速日は再び注挿を始める。

「なんだ……また、逝った…のか? 堪え性が…フウッ! ないな……」

 余裕を持っているような口調だが、本当は限界に近かった。
 今度こそ共に逝こうと、饒速日は蜜に塗れた花芽を小刻みに擦る。ビクリ、と瀬織津姫は震え、淫らな指から逃れようと藻掻く。

「ア……ッ! イヤァッ! アアァッ!」

 陰部に絶え間なく悦楽の塊を叩きつけられ、抜き差しされる。雌蘂を過激に嬲られ、立て続けに貫かれる花が悲鳴を上げていた。
 もう、何だか解らない。意識と己の陰所が切り離されたような気がする。感覚がなく、飽和する痺れと悦楽だけがある。瀬織津姫は激しすぎる交媾に、心身ともにくたくたに疲れていた。
 が、己がどれだけ淫らに悶えているのか、彼女は理解していない。身体をのた打たせる姿や、陽物に纏い付き絶妙に追い上げる柔軟な襞が、どれ程に饒速日を乱れ狂わせているのか知らない。
 瀬織津姫の喘ぎと、饒速日の切なげな呻きが膨張して彼女の耳に響く。
 迫ってきた快楽の大きさに失神しかかったとき、愛するひとが奥に欲望の証を放ったのを、瀬織津姫は朧げながら感じていた。


 軽く頬を叩かれ、瀬織津姫は瞼を開ける。
 見ると、心配そうな表情をしている饒速日が己を抱きかかえ、見守っていた。

「若日子さま……」

 目覚めきれず、瀬織津姫は呆然と今はもうない名を呼ぶ。
 饒速日は苦笑して、わたしは火明だから、とさり気なく訂正した。
 あ……と呟いた時、ふと衣に違和感を感じる。
 下肢がじっとり濡れていて気持ち悪い。はっと先程までの房事を思い出し、衣服を見たが、既に饒速日が整えてくれた後だった。
 手を添えて身体を起こしてもらったが、決まりが悪く、瀬織津姫はあまりの含羞にむくれて饒速日を睨んだ。

「……無茶をさせたな。すまなった」

 心底詫びている夫の様子に、言ってはいけないと解りつつも、瀬織津姫は責めてしまう。

「ひ、ひどいですわ。あんな、余裕のない抱き方をなさるなんて。
 それに、まだ日は落ちていませんのに、巫たちに見られたらどうなさるおつもりなのですか?
 今日のあなた様は、あなた様らしくありませんでしたわ」

 瀬織津姫の咎める言葉に、確かにな、と呟き、饒速日は面映ゆそうに頬を掻く。
 その様子がまた彼らしくなく、瀬織津姫は呆気に取られ、穴が空くほど饒速日をまじまじと見る。
 咳払いをし、覚悟を決めて、饒速日は語りだした。

「……おまえが余りに可憐すぎるからだ」
「……はい?」

 思わず、瀬織津姫は聞き返す。
 真っ赤になり、饒速日はあらぬ方を凝視する。

「……わたし達が用件を話しているのに、おまえは頬を染め、うわの空で聞いていた。不審ではあるが、そのときのおまえは余りに可愛いすぎて、思わず引き返してしまった。
 戻ってみたらみたで、ひとりで百面相をしているおまえの姿は面白く、艶やかすぎた。あんな姿を見せられると、堪らなくなるではないか」

 そ、そんなことを言われても……と、瀬織津姫は口籠もる。

「それは、あなた様がいけないんですわ。
 夜毎激しくわたくしを責められるのですもの。
 一夜明けただけで、夜の濃密な記憶を消せるとお思いですか? それも、毎夜飽きる事無くわたくしを貪られて、余りの濃厚さに、昼でも夜でも恥ずかい記憶が切り離せずに蘇ってくるのです。
 このままでは、巫女姫の面目丸潰れですわ!」

 拗ねて口答えする瀬織津姫。その姿の可愛さに、またしても悪戯心が湧いて出そうになるが、饒速日は辛うじて押さえる。

「だが、切り離したくて堪らない記憶に、昼夜関係なく浸ってしまうのだろう?」

 娯しそうな声に、瀬織津姫はぐっと詰まり、言い返す。

「そ、それでも、あんなふうにいきなり襲うのは、よくありませんわ!
 それだけならまだしも、自己本位にお責めになって……。まだせねばならぬことがあるのに、あなた様のおかげでくたくたですわ」

 拗ねて膨れる瀬織津姫の姿に恐さはなく、饒速日には堪らなく愛しい。
 こんな風に思ってしまうから、慮外なところで箍が外れてしまうのだろう、と声に出さず彼は思う。
 己が彼女の弱みを握るのはいいが、常に彼女より上手でいたいのだから、己の弱点を捕まれてしまうのはいただけない。
 ともあれ、清らかな妻を淫らに変えていく計画は着々と成功しつつあると、饒速日は内心邪まに頷いた。

 夫がそんな不埒な事を考えているとは露知らず、瀬織津姫はなおも膨れ顔を曝している。


 彼女が饒速日に仕向けられた悦楽の思い出に耽るのは、まだまだ続きそうだ。







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