「何もしてないのに何で濡れてんの?」



 蘭香にとって、それは勇気のいることだった。

 五年前、彼女はたった一人の愛する人・高長恭を北周の将・宇文瑛の魔の手から救うため、瑛に身を任せた。
 己をたったひとりの愛しい女といってくれる大事な男のためなら、その身など惜しくはない。命を捨てる覚悟もしていた。
 だから、瑛にどんな無体な行いをされようと全て耐えてきた。

 が、まさか『蘭陵王』と名乗るようになった長恭が武将として強靱に成長し、芒山の戦いにおいて宇文瑛に打ち勝って、瑛に伴われていた己を奪い返すなど、蘭香は思ってもみなかった。

 敵の手の付いた女である己が、再び長恭の傍にいるなど、あってはならないことだった。清冽な長恭が敵の妾を略奪するなど、彼の名誉を傷つけることだと蘭香は思った。
 己は既に長恭にとっては過去の存在である。彼が思い煩わないためにも、自身の手で命の幕引きをするべきだと蘭香は決意した。

 それを止めたのは、今にも首筋を剃刀で掻き切ろうとしている蘭香を目撃した、長恭の体当たりの情熱である。

 己を熱情で絡めとった長恭に、蘭香は衝撃を受け、ひどく混乱した。
 長恭はこころに傷を持つ身であり、過去の忌まわしい記憶が人間との肉の交わりを拒んでいた。
 蘭香が北周に行くほんの前に、長恭と深くこころを通じ合わせることが出来た。強く結び付けられていく互いの愛情が、よりふたりに深い繋がりを求めさせた。
 が、たどたどしく触れ合おうとした夜は、長恭の第近くに付けられた不審火のお陰で不成立に終わった。
 その日以来、ふたりは意識しあいながらも閨をともにすることができず、やがて宇文瑛の手によって引き裂かれた。
 故に、蘭香の頭のなかの長恭は性の営みを忌み嫌う潔癖な青年のままで、ひとり己だけが瑛の手により生々しい『女』に変化させられたのだと彼女は思っていた。

 それだけに、無理矢理己を床に押しつけ衣を引き破り、粗暴な動作で凌辱ともいえる交わりを行った長恭を、俄かには受け止められなかった。
 肉体を襲った余りの打撃に失神した蘭香は、鬱血の痕が残る素肌、放たれた精液が漏れ出る蜜壷を認めながらも、頑なに自身に起きた事を信じようとはしなかった。己の身に起きたことは、長恭への未練が見せた浅ましい夢なのだと思い込もうとした。
 それは明くる日に行為を詫びてきた長恭によって、現実だったのだと思い知らされるのだが。

 ――命を断とうとするおまえの姿を見て、今まで押さえてきた執着が最も悪い形で爆発したのだ。
 もう二度としないと約束する。
 わたしの傍に居なくてもいいから、どうか生きてほしい……。

 長恭は切な気な面持ちで告げた。

 その時、蘭香の胸がひどく痛んだ。

 長恭は自身の想いを執着などというが、彼女を強引に抱いたあの日以外は思いやりに溢れ、優しさしか感じられなかった。
 あの夜の行いは乱暴ではあったけれど、彼の直向な恋慕と激情を彼女にひしひしと伝えてきた。
 蘭香が長恭の傍に居なくなっても、未だに彼は一緒に匿われていた仲間たちを自第に置いていてくれた。
 彼の想いを執着というのなら、五年間の間、瑛に抱かれながら忘れられず、遠く離れた愛しい面影を生きるよすがにしていた蘭香の想いも、執着ということになる。
 どんなに汚れようと、長恭が今、北斉で生きていてくれるのなら、己も生きていけると蘭香は思い続けていた。

 だから……わたしの傍に居なくてもいいからと言われたとき、蘭香は無性に淋しかった。
 理性を忘れて犯してしまうくらい愛執の念を抱いているのに、長恭は手放そうというのだ――彼自身の恋を。そうなれば、蘭香も長恭への想いを断ち切らねばならなくなる。
 蘭香は惑乱した。どうしたらいいのか分からなくなった。

 複雑に入り組みすぎると、却って真実が見えなくなる。――蘭香の脳裏から、『死』という選択肢が消えていた。生きて離れる辛さや痛みだけを感じていた。

 蘭香の袋小路の出口を指し示したのは、彼女のいた楽団の長であり、母とも姉ともいえる存在である菻静である。

 ――もうそろそろ、自分に優しくなってもいいんじゃないかい? 
 あんたは五年間、ずっと公子を忘れられなかったんだろ。公子だって、それは同じだったんだ。
 心の中に色々引っかかりがあるかもしれないけど、大人なら少なからず皆そうなんだ。だから……自分に素直になりな。

 菻静の思いやり溢れた言葉に当惑しつつも、蘭香はその科白が水のように胸に染みていくのを感じていた。
 できるのなら、長恭の傍で生きていたい。叶うのなら彼の体温を感じていたい。許されるのならば、彼に……抱かれたい。
 長恭の為す行いに呑まれながら、蘭香の身体は彼の肉体を確かに覚えこもうとしていた。
 瑛とは違う熱さ。不慣れでありながら確実に蘭香を狂わせていく愛撫の粘稠さ。女の花を散らす男の芯の激しさと強剛さ。そのどれもが拭い難い焼印を蘭香の魂と身体に捺していった。
 拒絶し抗いながらも、蘭香のこころは五年前に果たせなかった情交の成就を甘受していた。
 まさに乾土に水が染み入る勢いで、長恭の愛が蘭香の精神の飢餓を埋めていった。
 できるなら、あのような形でなく、互いに想いあい労わりあって愛を交わしたかった。それは、長恭も同じだろう。

 ――わたしは自分自身の我儘を許してあげたい。もうどうしても、あの人と離れられない。わたしの魂と身体が、あの人に靡ききっている。
 自分を騙すのは、もう……嫌。

 長い年月の間に交わされた瑛との愛憎は、言葉では言い表し難いものになっている。子まで生した仲である。ひたすらに貪る様に求められた果てに、蘭香の中に複雑に入り組んだ想いが確かに存在している。
 が、瑛は死んでしまったのだ。父の愛に恵まれなかった娘・茗蓮(めいれん)は厚い情愛を示す長恭に懐き、彼の手が空いているときに構ってもらうことを望んでいる。
 瑛への愛怨をこころの奥底に深く沈め、片意地を張らずに長恭の胸身を任せていくのが、誰にとっても一番いいような気がした。――蘭香自身が、そうしたかった。

 ――わたしは、長恭さまを迎え入れる。わたしが……そうしたいから。

 蘭香はこころに決め、茗蓮を呼び長恭に夜の訪いを乞うよう頼む。あからさまに閨を共にすることを乞うのではなく、母娘と晩餐を囲み交々話をしたい、と言付けた。
 茗蓮が部屋から出るのを見届けた後、久方ぶりに厨房に入り菜を整える準備を行う。
 五年前に何度か厨房で食事を作っていた事があった。食の進まない長恭に無理やり食べさせるために知恵を捻って食しやすいものを考えたりした。
 厨房の料理人たちはそのとき何度か顔を合わせていて、親しくなっていた。彼らに何も言わずに北周に向かったが、五年ぶりに顔を見せた蘭香に彼らはほっとした顔を見せ、暖かく彼女を迎えた。







「……蘭香が、わたしに馳走すると?」

 長恭は信じられない面持ちで茗蓮の言葉を聞いた。
 生きることを拒絶し、自ら命を絶とうとした蘭香が……己と再び友誼を持とうとしている。
 強引に蘭香を犯した己だというのに、彼女は側に近づくことを許してくれる。
 長恭は己がしたことに意気消沈し、塞ぎこんでいた。
 少年の頃から叔父である文宣帝・高洋に強姦され続け、性の交わりを嫌厭していた。劣悪な恣意によって肉体と魂を引き裂く暴挙を許せないでいた。
 それが五年前に宇文瑛の追手から蘭香を救った一因である。
 が、その彼女に性に対する葛藤を乗り越えるほど焦がれるとは、あの頃は思わなかった。
 そして、あれ程忌避していた凌辱の罪を己が犯してしまうなど、考えもつかなかった。
 ただひたすら蘭香に申し訳ない。己のなかにあった情欲の強さ・卑しさに、長恭は腹立たしく情けなくなった。
 そして、もう蘭香に逢えない……と強く思った。

 ――わたしは、腹の中に凶悪な劣情を飼っている。野放しにしたまま蘭香に近づくと、先日の二の舞になる。

 我が手で我が身を消してしまいたくなるほど、長恭は己を呪っていた。長恭の臣下たちが気遣うほどに、彼の気落ちは酷く、陰鬱になっていった。
 
 ――わたしの現状を見ていられぬと思った平掩が、蘭香にわたしを許すようにと頼み込んだのだろうか。

 だとすれば、非常に余計なことで、家臣の分際でありながら僭越に過ぎる。あとできっちりと叱責せねば、と長恭は眉を寄せる。
 足元で返事を待つ茗蓮と目線を合わせるため屈み込み、長恭は幼い娘の頭を撫でた。

「すまないが、今宵は仕事が立て込んでいるのだ。残念だが、行かれそうにない」

 茗蓮は拗ねたように唇を尖らせ、いやいやと長恭の衣を掴む。

「やだやだっ! お母様が絶対叔父様を連れてきなさいって言ってたの! 来ないとお母様が可哀相なのっ! 茗蓮も泣いちゃうのっ!」

 強く裾を掴んだまま放さず、駄々をこねる。
 困惑する長恭は長い間迷ったが、蘭香によく似た可愛らしい存在に悲しげにされると、長恭のこころがじくじくと痛んだ。 

「……お母様が望んでいるのなら、無理にでも仕事を片付けて茗蓮たちのところに行こう。待っていてくれるか?」

 うんっ! と喜色満面の茗蓮に、長恭は微笑んだ。 


 取るものも取り敢えず長恭は第内での仕事を全て片付け、室が暗がり燭に火が灯される頃、蘭香が待つ部屋に向かった。
 今度こそ取り乱さず、彼女に何を言われ詰られようと、耐える心積もりをしている。
 戸を開けたとき、勢いよく茗蓮が抱きついてくる。あやす様に幼子を高く抱き上げ、長恭は橙花の香りが漂う室内を見る。

「蘭香……」

 美しく着飾った蘭香が、そこに居た。
 華飾過ぎる装いではないが、自然な色合いの趣の良い衣を纏い、人妻がするように髪を豊かに結わえ簪を挿している。衣服が柔らか目の色合いなら化粧も同じで、槿など天然の植物を連想させる紅を用いている。
 意識的に、蘭香は『男を待つ女』としての身なりをしていた。長恭の好みを反映した、慎まし気な姿である。

 ――蘭香……?

 何ゆえに、彼女は己の目を引くような姿をする?
 何故、彼女は己の欲情を引き出すようなことをする?
 晩餐に誘い、美しい姿を見せ、清楚で艶かしい橙の花の薫りに酔わせる。
 そのような状態で蘭香の傍にいると……またも抑えられなくなるのではないか。長恭は自身を危ぶむ。

「あ、蘭……」

 長恭は何とかこころを振り絞り、その場で断りを入れるよう口を開こうとした。
 が、蘭香の言葉に先を制される。

「さぁ、どうぞ。今、秀佳(しゅうか)が羹をもってくるわ」

 秀佳とは長恭が北周から蘭香を伴ってくるときに、命がけで茗蓮を北斉に連れて来た蘭香の侍女である。瑛の無法にも強気で返す蘭香を秀佳は尊敬し、どんな時でも離れないと誓いを立てていた。
 芒山の戦いの折に長恭と瑛の戦いに巻き込まれ負傷した蘭香を、彼は北斉に連れて帰ってきたが、幾日も経たず北斉に入った秀佳に蘭香の看病を頼んだ。
 乱暴を犯してしまった後には、蘭香が自棄になって自害しないようにそれとなく見張るよう命じていた。

 長恭は断ることが出来ず、丸い卓子の前に設えられた席に勧められるまま座る。
 程なくして、秀佳が湯気の立つ大きな椀と焼きたての魚を盆に乗せ運んできた。それを既に冷菜が並べてある卓に置くと、蘭香が冷やした鶏肉の蒸し物と、汁物を銘々に取り分ける。

「どうぞ」

 微笑む蘭香に釣られ、長恭は菜を口に運ぶ。
 舌に馴染みのある味に、用意された菜を全て蘭香が作ったのだと悟った。

「久しぶりに調理してみたのだけれど、どうかしら」

 案じ顔で聞いてくる彼女に、長恭は素直に感想を述べる。

「相変わらず、達者な腕だな」
「そう? よかった」

 言いつつ蘭香は長恭に杯を手渡し、冷えた酒を酌んだ。
 杯の中身を空けつつ、ちらと蘭香を盗み見ると、彼女は茗蓮の口に解した魚の身を運ぶ。咀嚼するのを見守り、蘭香は巾で娘の唇の汚れを拭った。
 和やかな母子の情景である。例外は、血の繋がりのない己だけである。
 そう思うと、宇文瑛に対する嫉妬が込み上げてくる。が、茗蓮は余りにも愛らしく、護りたいと長恭に思わせる。
 長恭の杯が空になっているのに気づくと、蘭香は再び酒を満たした。
 快い酔いが身体に回る中、長恭はどうして蘭香が自ら菜の仕度をし、己を歓待するのか疑問に思っていた。

「叔父様、叔父様っ!」

 食事に飽きたのか、茗蓮は椅子から降りると長恭の大腿の上によじ登ってきた。彼が腕に包み込むと、茗蓮はキャッキャとはしゃぎ、取りとめもなくしゃべり始める。長恭は黙って聞いている。
 長恭を慕う娘を眺め、蘭香は穏やかに微笑んだ。

 やがて話し疲れたのか、茗蓮は長恭の腕の中で寝息を立て始める。
 蘭香に呼ばれた秀佳が、茗蓮を隣にある娘の部屋に寝かしつけに行った。
 
「あ……わたしも、これで……」

 居づらさに長恭は思わず部屋を出ようとする。
 が、蘭香が彼の袖を捕らえ、長恭を引き止めた。

 ――え?

 長恭は息を呑み、蘭香を振り返る。

「……今夜は、一緒に居て欲しいの。
 閨の……用意は、……してあるから……」
「蘭…香……?」

 まじまじと、長恭は頬を染め俯く蘭香を覗き見る。
 彼の衣を掴む指が、小刻みに震えている。唇をきゅっと噛み締め、蘭香は羞恥を堪えていた。

 ――まさ…か、蘭香はわたしを迎え入れるというのか?

 彼女を辱める暴挙を犯したというのに、蘭香はそれをも全て包んで、身体ごと長恭を許そうとしていた。







 蘭香は恥ずかしさを押さえ、ありったけの勇気で長恭を誘う。
 が、長恭の応えは予想もしないものだった。

「……菻静か、平掩にわたしを受け入れるよう言われたのか?
 そんなに心配しなくても大丈夫だ。無理をしないでくれ」

 目を見開き、蘭香は長恭の双眸を見る。
 彼の優しい黒真珠の瞳が、悲しみを湛え揺れてた。唇が笑みを作ろうとしているが、うまく結べていない。

「……どうして? 無理なんてしていないわ。わたしは誰かに言われたからではなく、自分からあなたを望んでいるのよ。
 それに、この前のことは気にしていないって言ったはずよ」

 長恭が詫びてきたときに、蘭香は何も引っかかってなどいない、傷ついていないとはっきり告げていた。それは事実であり、だから彼を迎え入れようとしているのだ。
 が、長恭のほうが、自身のしたことに堪えているようだった。

「久しぶりに暖かい時間を持つことが出来た。わたしは満足しているから、気にせず休めばいい」

 頑なに彼女の想いを理解しようとしない長恭に、蘭香は唇を噛み締める。
 彼に抱かれたい、という気持ちは嘘ではない。切実な心持ちで言っているのに……と、蘭香は悲しくなる。

 真なる想いを解ってもらうには、自ら動くしかない。
 そう強く思った蘭香は、長恭からして仰天するような行動をとった。

 長恭の右の手首を掴むと、蘭香は裙の裾を捲り、自身の足の付け根の窪に彼の指を差し入れた。
 瞠目する長恭。

「…………!」

 同時に、ふたりは息を呑む。

 ――何もしていないのに、蘭香のほとはしとどに濡れていた。

「らん、こう……おまえ、何もしていないのに……」

 含羞に耳まで真っ赤に染まりながら、蘭香は途切れ途切れに言う。

「あの夜……強引な交わりだったけれど……本当は嬉しかったのよ。
 だから、はしたないけれど……今夜、側にいる間あなたを、あなたとの夜をいつも意識してた。
 わたしは、北周に行ってからもずっと……あなたを、忘れられなかった。五年も別々に過ごしていたのに、時が止まったように、あなたの面影に縋っていたの……。
 色々あったのに……身体もこころも、前とは違ってしまったのに、あなたを想うこころだけが、わたしを生かしてた……!」
「蘭香……」

 蘭香の陰部から手を離すと、滑りのある暖かな滴が彼の指から垂れた。長恭にはそれが、蘭香の涙のように思えた。

「もう、遅いのかしら。戻ることは出来ないのかしら。
 他の男に抱かれた身では……幸せを掴むことは出来ないのかしら?
 あなたを望んでは……いけないのかしら?」

 長恭は圧倒されて蘭香を見つめていた。
 が、ため息を吐くと、彼は泣き咽ぶ彼女を凝視しながら、指に付いた残滓を口に含む。蘭香の愛の飛沫が、彼の口内に広がった。

「ちょう、きょうさま……?」

 目を見開く蘭香に微笑み、長恭は彼女の細い肢体を抱き締める。

「……おまえを望んでも、いいのだな……?
 おまえはわたしを……許してくれるのだな?」

 髪をまさぐる長恭に、蘭香はただただ頷く。
 彼女の頤を上げると、長恭は彼女の柔らかな唇に接吻した。自ら求め口づけを返す蘭香に、長恭は彼女の口内を舌でかき混ぜる。
 熱くなる身体に任せ、ふたりは倦むことなく口吸いを続けた。







 橙花の香が漂う明かりのない閨のなか。
 開け放たれた窓から差し込む月光が、蘭香の素肌をほの白く浮かび上がらせる。
 伸び上がった項に口づけを落としながら、長恭は豊かな丸みを持つ柔らかな乳房を撫で擦る。男の固くしなやかな指にしっとりと吸い付きながら、女の乳房はふるりと撓んだ。
 蘭香は小さく息を詰まらせ、腰を波打たせる。
 何かを堪える様に、蘭香は唇を引き結んでいる。
 しこった胸乳の突起を口に含み、長恭は舌で転がす。空いた片方の乳房を掌で愛で、脇腹や腰の脂を含んだ滑らかさを味わうように指先で楽しむ。
 緩慢な愛撫に蘭香は身体を震わせ、悶えを見せた。
 が、表情は苦しげで、抑えられないものを必死で抑えている様相である。
 愛の所作を中途で止め、長恭は彼女の面を覗き見る。

「蘭香……辛いのか?」

 滲むような思いやりを響かせる長恭の美しい声音に、蘭香は固く閉じていた瞼を開いた。
 至上の美しさを持つ長恭の顔貌が、激情を奥底に閉じ込め蘭香を見下ろしている。無理矢理に逸る性を押さえ込み、彼女を慮っていた。
 蘭香は慌てて首を振る。
 
「ち、違うの……。辛くはないわ……」
「……そうは見えないが……。苦しそうに眉を潜め、唇を噛み締めている」
「あ……。
 べ、別に、身体が馴染まないわけではないの」

 長恭は考えをめぐらせる。
 確かに、馴染んでいないという訳ではないだろう。
 あの夜、強引な交わりであったが、蘭香は長恭の動きに激しい反応をみせていた。無体な行いだというのに喘ぎ、放恣に乱れていた。

「わたし……ずっと、乱れないようにしていたのよ。
 瑛の手に落ちてあなたのために出来ることは、それくらいしかなくて……。
 もう抑えなくてもいいのに、馬鹿みたいね」

 言って、蘭香は長恭の裸の胸に身を寄せる。

「……怖れているのか? 不覚に陥るほど乱れ狂うことを」

 長恭の言に、蘭香は顔を上げる。
 何かを考え込んでいる彼の眼差しを受け、蘭香も考えを手繰る。

 そう、怖れていたのだ。瑛の側にいる間は。
 憎んでいた瑛の手により女の淵に引き擦り込まれる事は、例えようのない恐怖であり屈辱であった。瑛の手により女そのものに仕立て上げられるのは、長恭に対する裏切りだと思っていた。
 が、今、傍らにいるのは、求めてやまない長恭である。何を怖れる必要があるのか。

 ……理屈では解っていても、なかなか変えられない。長恭の手によってでも、今の己を覆されてしまうのは、やはり怖い。

 蘭香は紛らわすように微笑んで、長恭の唇に軽く接吻する。
 長恭はひとつの答えに思考が及んだのか、卒爾に身体を寝台の下方にずらすと彼女の膝を抱え上げ、湿って息づく花びらに唇を近づけた。

「あっ…………?!」

 いきなり動きを見せた長恭に戸惑い蘭香は声を上げる。
 が、今の驚き以上の事態が直後に起きたことにより、彼女は小さく息を止めた。

 長恭の舌が、花びらから流れ出る滴を絡めとり、そのまま熱い壷に潜り込んだ。
 最前から潤み続けるそこは、ぼってりと血を集め柔らかく蠢く。ざらついた舌により刺激されれば、先よりも増して愛液を分泌し始めた。長恭はそれを啜りつつ、ふくりと膨らんだ花芽を指で摘む。

「アッアアァァ…………!」

 思わず漏れてしまった声。
 蘭香は自身の嬌声に愕き、意識を引き戻される。
 が、それは束の間のことで、立て続けに加えられていく愛撫にすぐさまぎゅっと目を瞑った。
 長恭が開きかけた剥き身を唇で挟み擦りあげると、より感が高められ、蘭香は堪らなくなる。
 蜜に塗れた真珠は玩ばれるごとにむくむくと突き出、蘭香が受け止めている歓の大きさを主張していた。
 胎内で膨張していく感覚に蘭香はのたうち、執拗な戯弄から逃れようとする。が、長恭の腕の力は強く、下肢をしっかりと押さえられてしまう。
 逃げ場のない身体は、際に向かっていくしかなかった。
 今までになく喘ぎ、敷き布を強く掴んで蘭香は臨界点を超えた。

「アアアァァァァ――――ッッ!」

 大波に浚われ、びくびくと小刻みに震えながら、蘭香は洞から液汁を放ち続ける。
 口の中に入った甘露を嚥下し、唇を手の甲で拭うと、長恭は肩で息をする蘭香の乱れた髪を撫で、緩く抱きしめた。

「な……なんて酷い人なの……。無理矢理、逝かせるようにするなんて……」

 蘭香は長恭をねめつける。
 が、嬉しげな彼の笑みに、非難できなくなってしまった。

「わたしのために、おまえは自身の身体を強いて御し、快楽を拒絶してきたのだ。
 それがわりなく身に付いてしまったのならば、開放してやらねばなるまい?
 わたしのためにそうなったのならば、封を解いてやるのはわたししかないと思ったのだ。
 だから、無茶を承知で、おまえを極みに誘った」
「あ……」
 
 長恭の言葉に、蘭香は黙り込む。

「……もう、我慢しようとするな。わたしは、おまえのどんな姿でも曝してほしいのだ。
 わたしだけに見せられる姿を、隠さないでほしい」

 微笑み告げて、長恭は彼女の頭を胸に寄せた。
 おずおずと彼の背に腕を廻し、隠していた本音をいう。

「ほ、本当は……怖かったのよ。
 あなたの手によってなら、どこまでも狂ってしまいそうで……」

 いって、蘭香の身体が一面朱に染まる。
 その様子に、くすりと笑い、長恭は蘭香の額にくちづけする。
 己になら、なにもかも弛緩してしまう、と愛する女が告げているのだ。男としてこれ以上の名誉はない。

「……実際は、どうだった?」

 底意地の悪い長恭の問いに、蘭香は耳まで紅潮する。聞かずとも解りそうなことなのに……と、蘭香は何も返せない。
 くすくすと笑って、長恭は唇で恋人の頬の熱さを感じてみる。
 蘭香は徐々に鎖骨の下に移動する唇に、湿った吐息を漏らした。
 長恭が肩に吸い付いているとき、蘭香は太股に熱く硬いものがあたっていることに気付く。
 それは既に角度を持ち、先端が滑りを帯びていた。
 彼の腰のあたりを撫でていた手をずらし、楔に触れてみる。

「ッ…………!」

 喉を震わせ、長恭が呻く。
 ひくりと振動した男根と、ついと上げられた彼の目に、蘭香は慌てて手を離した。
 淫らな女と思われたかもしれない……蘭香は己がしたことを後悔した。
 何気なく興味を引かれて触れたにすぎないのだ。強制されて瑛の陽物に奉仕したことはあるが、嫌々ながらだった。自ら望んで触れたのは、初めてである。
 後ろめたくておどおどと目を泳がせる蘭香に、長恭はふっと微笑む。
 彼女の手を取ると、長恭は己の持物に触らせた。
 びくりとして、一旦触って手を離し、蘭香は長恭を見る。

「よい……触ってくれ……」

 言いつつ、長恭は半ば開いた蘭香の唇に口づける。
 叔父に嬲られ続け、他者から触れられることを忌み嫌った場所に触れることを、長恭は許してくれた。蘭香は彼の想いの深さを、彼に愛されているということを思い知らされる。
 幸せに涙が出そうになるのを堪えながら、蘭香は両手で尊いものに触れるように、優しく柔らかく擦る。ぬかるむ先端の小さな穴を指の先で抉りながら、竿を上下に撫で下ろした。
 長恭の息が荒くなる。熱く漏れ出る吐息に嬉しくなり、蘭香は彼に仰向けになってもらうと、彼自身を口に含んだ。
 舌を艶かしく絡め、頭を上下させてしゃぶると、長恭は微かに声を溢しながら上肢を起こし、蘭香の髪を弄ぶ。
 魅せるように上目遣いで彼を見、動きを大きくすると、長恭は切なげに目を細めた。
 咥内でもとめどなく愛の滴が湧き上がり、震えながら膨れ上がっていく。長恭の喘ぎの間隔も狭まっていく。限界が近いようだった。
 蘭香は先端を口で包み込むと、強く吸引する。

「アウッ――――!!」

 長恭は思わず蘭香の髪を引っ張るように掴み、彼女の喉に向かって弾けたものを吐き出した。
 幾度も文宣帝に精を飲むことを強いられ、その苦しさを理解している長恭は、荒く息を継ぎながらも焦って放出を続ける抜き身を出そうとする。
 が、彼の臀部を引き寄せてまで吸い付いてくる蘭香の意志の強さに、長恭は全てを出しざるを得なかった。
 口から精液が出るのを押さえる蘭香の背を擦り、長恭は声を掛ける。

「蘭香……、無理に呑まずとも、よいのだぞ。すぐに吐き出せ」

 必死な面持ちの長恭をちらりと見ながら、蘭香は喉を鳴らして咥内に絡みつく粘液を飲み下した。
 呆然と見ている愛する人に微笑みかけ、蘭香は筋肉質な胸に寄り添う。

「辛くはないわ。あなたから齎されたものだと思うと、嬉しくて……自分から受け止めたかったのよ」
「蘭香……」

 愛する女が見せた愛の証に、長恭の胸が熱くなる。それだけで、またも下腹部に熱が渦巻いていく。
 何も言わずに彼女を寝かすと長恭は身体を反転させ、水瓶のように滔々と花蜜を流す窪を指で愛撫し始める。
 彼の意図を理解し、蘭香も今一度硬さをもち始めた雄根を咥え込んだ。

 くぐもった声を洩らしながら、蘭香は勃ち上がりつつある肉柱を舌で舐め、手で双珠を愛撫する。
 が、溢れる泉を長恭が指で抜き差しし、内壁の過敏な箇所や陰部の突起を擦り上げると、襲い来る愉悦に神経を捕られ、悶えて愛撫の手を止めてしまう。

「ハアァァァ……っ」

 蘭香は上り詰めていくのを抑えられない。悦楽の声を留めることが出来なくなり、長恭の肉体の下で汗まみれの肢体をくねらせた。
 彼女の身体が細やかに震え始めたとき、長恭は指を壷から抜き去り、体躯を離した。
 際に流されていく途中で突き放され、物足りなさに女体は腰を弾ませる。
 不満を込めた怪訝な瞳に柔らかく笑い、長恭は蘭香に軽く接吻する。
 うっとりと目を閉じ彼の首に腕を絡めた蘭香。
 が、大腿を彼の下膊で抱え込まれ、女陰に突きつけられた感触に彼女は目を見開く。

「……いいか……?」

 熱を孕んだ長恭の美しい目に、蘭香はややあって微笑み、肯いた。

「……来て……」

 挿入するに足る規模に膨張した陽根が、満ちる女の隠沼に分け入る。
 嬉々として襞が牡に絡みつき、離さぬように強く包み込む。

「アァァッ…………!」

 思わず、蘭香は声を洩らす。
 暫く、己を内包する牝の感触を楽しむように、長恭は何も動かず蘭香の額や耳元、頬に啄ばむような口づけを繰り返す。
 蘭香は彼の上体に抱きつき、相手の引き締まった腰に下肢を巻きつける。そうすることで接合が深くなり、より中にあるものの感触を知ることが出来た。
 柔壁が窄まっていくことにより、胎内を穿つ生暖かい固塊が、ぴたりと彼女の窪みに填まる。

 蘭香は瑛の身体に慣れさせられたことにより、肉の交わりに対する観念のようなものを植え付けられていた。
 瑛と己の身体は対に誂えた鍵と鍵穴の如く、他のものが入り込む余地がないほどに当て嵌まっているのだと思い込まされていた。
 が、長恭と身体を合わせたことにより、それが思い違いと感づかされた。
 絡み合う肉体同士が吸引しあうように、ひとつの隙間もなくぴたりと重なり合っている。
 何も動いていないのに、最もよい快さと安堵感を得ている。
 それは肉体からではなく、こころからくるものなのだ。
 己が惹かれる人の持物だからこそ、二つも同じものがないと思えるほど酔わされ、溺れることができるのだ。
 今の状態でこれほど酔を感じられるのだから、彼の蠢きを受ければ尋常ではない変化が生じるかもしれない。
 それも悪くない、と思う。蘭香はどこまでも酔い痴れて、長恭一色に染まってしまうのもいいと感じた。

 じっと見つめてくる蘭香の艶めいた眼差しに彼は頷き、緩やかに身体を揺すり始める。
 ゆったりと抜き差しされる雄物に合わせ、蘭香も意識的に腰を揺り動かした。

「ハアァッ……長恭さま……っ!」

 自身を引き絞ってくる膣壁に、長恭は呻く。
 強くしがみついて来る蘭香の身体を抱きしめ、彼は煽られるがまま動きを速める。
 中の好い場所を亀頭で擦られ、蘭香は身悶えた。

「アアァァァ…………ッ!!」

 形振り構わない蘭香の紊乱した姿に、長恭の内火がより燃え上がっていく。

 自身から乱れることを封じ、その禁を無意識下に強いていた蘭香が、涙を流しながら彼に縋り、身体を開き受け入れている。
 あの夜の交わり以上に、彼女は長恭に酩酊している。
 あの夜も底に求める気持ちがあったからこそ蘭香は惑乱したのだ。
 が、今は遮るものもなく、互いに全てを開け放ち魂の奥底から身体を交わしている。
 言葉よりも明らかな蘭香の態度に、文宣帝に嬲られて以来忌んできた長恭の男としての性が引き出される。
 あの夜、怒りや悲しみに阻まれ細々と漏れ出ることしか許されなかった彼の愛が、全て解き放たれる。

 上肢を起こし蘭香の掌を握ると、長恭は思うが侭に激しく腰を打ちつけた。彼女の奥深く、子宮に届くところまで抉り続けた。
 その度に歓びを表す内側の収縮が、彼を高みに引き上げていく。

「ア、ア、アアアァァ…………!!」

 ぶるぶると震える蘭香に噛み付くように接吻し、長恭は彼女の耳に喘ぎ混じりで名を呼んだ。

「蘭ッ、香……! 蘭香――ッ!」

 がくがくと腰を急速に振り、汗を滴らせ長恭は何度も荒い息を吐く。
 白んでいく意識に、ふたりは身を任せる。

「アアァァァ――――!」

 蘭香が絶頂の叫びをあげるのを聞きながら、ほとの縮小に導かれ長恭は彼女の奥に激情を迸らせる。
 己の身体を支えることが出来ず、意識を失った蘭香の上に長恭は崩れ落ちた。


 失神していたのは束の間のことで、蘭香はすぐに目を開ける。
 同じような状態の長恭が、交わった姿勢のまま彼女に覆い被さっていた。
 ふふ、と笑って蘭香が軽く彼のくせのある髪を梳くと、覚醒した長恭が薄く瞼を開いた。

「蘭香…………」

 未だ目の焦点が合わない彼の唇に、蘭香は口づけする。
 たまらなく幸せだった。疲れ切って身体を動かせない長恭の姿も、愛しすぎる。

「……すまない、少ししたら退くから……」

 身体を絡め合ったまま、長恭は照れたように笑う。
 構わないわ、もう少しそのままでいてと呟き、蘭香は彼の頬に頬を擦り寄せた。

「わたしは、性の交わりを忌み嫌っていた。
 が、縺れ合った感情を解すのに、これ以上に良い方法はないのだな……。
 あのまま別々に生きていたら、深く重い後悔を一生背負っていかなくてはならなかったかもしれない」

 穏やかな長恭の美しい面に、蘭香は安らいで応える。
 涙が溢れるほどの幸せが、確かにここにある。一度は捨てた願いが、今、叶った。

「わたしも……あなたに抱かれて、身体ごと愛することがどういうことなのか、解ったわ……。愛し合うということは、幸せなことなのね……」

 言ってくすくす笑う蘭香に、長恭も吊られて笑い出した。



 遠く離れていた長い年月。
 容易にその年月を取り戻すことはできないけれど、もう不安になることはない。

 やっと、安息な一生を、このひとと供に歩いていける、とふたりは声に出さず思った。








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