You and I
貴方以外に興味はない
俺の知らないクラウドの過去は、すべてセフィロスへの想いで彩られていた。
ある時は、他人のこころを微かに感じられる女のなかに入っており、偽りの人格に隠れたクラウドの本性を見ていた。
またある時は、クラウドの幼なじみという女のなかに入り、クラウドの人生を変えることとなった事件――セフィロスを殺したときのクラウドの真実を探っていた。
そして、再びクラウドのなかに入り、どこか深い場所でセフィロスと相対した。クラウドは覚悟を決めており、自分のなかの悲哀を押さえセフィロスを斬った。
そのどれを見ても、クラウドは悲しみに満ち溢れていた。クラウドの慕情と哀惜は、ひたすらセフィロスに向けられていた。
(クラウドとセフィロスのあいだに、俺の入る隙はない。)
望める見込みもない自分の恋に、俺は打ち拉がれていた。
失うなら、初めから欲しがらなければいい。得られないなら、手を延ばさなければいい。
恋する者が他人のものなら、諦めればいい。
手の中にある機械に導かれ、俺はクラウドの悲しい恋の歴史を辿った。そして、俺は絶望し、クラウドを諦めた。
俺は考えてもいなかった。過去と現在は同じではないのだと。
現在は過去と地続きだ。が、まったく同一ではない。想いも、変わっていく。
だから、現在のクラウドの想いを無視し、俺はこころの暗闇のなかに沈んだ。
目覚めた俺は、敵対する者の本拠地――アルティミシア城にいた。
そして、俺を包み込むのは、真紅のベルベットを纏った腕。豊かな胸乳の柔らかさに頬を埋め、俺はぼんやりとした頭で螺旋階段を眺めた。
「目が覚めましたか? スコール」
あぁ、やはり俺を抱き締めていたのは、アルティミシアだったか――俺は眼を上げる。濃い化粧を施したアルティミシアが、蠱惑的な微笑を浮かべた。
「寂しいスコール、誰にも愛されないスコール。
ひとりは辛いでしょう? 誰かの温もりが欲しいでしょう?」
唇に塗り籠められた紅が、笑みの形に吊り上がる。俺は身じろぎし、アルティミシアの腕から逃れようとする。
この女は敵だ。どんな甘言も、信じてはいけない。この女の誘惑に、呑まれてはいけない。
だが、俺に向けてアルティミシアは全身から引力を発していた。俺のこころがアルティミシアに惹きつけられるよう、女から磁力のようなものが出ていた。
「だ…黙れ……」
力が入らず女の腕から抜け出すことが出来ないので、俺は言葉だけでもあらがってみる。
くすり、とアルティミシアは笑う。
「誘惑に身を任せなさい、スコール。
おまえをわたしの翼で包んでやろう。おまえのこころををわたしの身体で暖めてやろう。
そして、おまえはわたしの“魔女の騎士”になるのです」
アルティミシアの囁きに、こころが折れてしまいそうだ――。
俺は力を籠めようとしていた腕をだらり、と下げた。掌から、球体が転がり落ちる。
瞼に掛かる圧力に勝てず、俺は眼を閉じた。
「そう……それでいいのです、スコール。
おまえは今から、わたしの“魔女の騎士”……いいですね?」
アルティミシアの顔が、俺の顔に近づいてくる。花のような香気が、女の吐息から薫った。
俺の唇に魔女の唇が重なりかけたとき、異変が起こった。
「そうはさせないッ!」
誰かがアルティミシアの背に素早く接近し、重い攻撃を仕掛けてきた。
アルティミシアは俺を放し、辛うじて斬撃を回避する。
ふっと身体に掛かっていた威圧感が薄れる。俺は目を開けて現れた相手を見た。
「クラウド……」
背に生えた両翼を羽ばたかせ、アルティミシアは廊下の手摺りの上に降り立った。
「思ったより早く来ましたね。もう少し時間稼ぎが出来ると思っていたが……」
俺のもとに駆け寄りながら、クラウドがアルティミシアを睨みつける。
「あぁ、紛らわしい真似をしてくれたな。
お陰で、行かなくてもいい場所に行ってしまった」
ふふふ……と楽しげに笑い、アルティミシアは手に魔力を溜める。
「どうでした、久々にあった恋人の様子は」
魔女の戯言に、クラウドはかっと目を開け、アルティミシアに斬り掛かってゆく。
「言うなッ! それは過去のことだ、今じゃないッ!」
ひらりと身を翻し、アルティミシアは魔力で出来た矢をクラウドに向け連打した。後方に飛びすさり、クラウドは俺の前にやってくる。
僅かに俺に目を向け、クラウドは小さく呟いた。
「折りを見て逃げるぞ、スコール」
そう言って大剣を構えたクラウドを、俺は茫漠とした眼で見ている。
(クラウドは、セフィロスのもの……。)
いまクラウドと逃げたとして、俺は惨めなままじゃないのか? クラウドの側に居ると、空しくなるんじゃないか……?
俺は首を振り、よろけながらも立ち上がった。
「俺の行動は……、俺が決める……」
そして、俺はアルティミシアのもとにゆっくりと歩きだす。
「スコールッ?!」
クラウドの、信じられないといった声。
一歩一歩近づいてくる俺に、アルティミシアが妖しく笑った。
「さぁ……こちらにおいで。わたしの“魔女の騎士”……」
孤独は辛い、ひとりは悲しい。誰でもいい、側に居てくれたら……。
俺に向け差し延ばされるアルティミシアの手に、俺は掌を重ねようとする。
そんな時、俺の後頭部に何かがぶつけられた。鈍い痛みに思わず振り返ると、怒りの形相のティーダが、ヤツの武器であるブリッツボールを投げたあとのフォームをとっていた。俺の足下には、ブリッツボールが転がっている。
「……スコールの、大バカ野郎ッ!
ひとりで自棄になって、敵に縋って……寂しかったら、誰でもいいのかよッ!」
クラウドの横に走ってくると、ティーダは自分の剣を構えた。その眼は、俺に対し怒っている。
「ジタンに聞いたよ、おまえが何に悩んでいるのか!
ひとり孤独になって、俺たちのこと無視して、俺たちってそんなに頼りないか?!」
ティーダはティーダなりに、俺のことを考えてくれている。ジタンやバッツたちもそうだ。クラウドも、クラウドの出来る範囲で俺を案じてくれている。
だが、それでも俺の孤独は満たされないんだ。
(頼むから……放っておいてくれ……。)
唇を噛みしめる俺に、突然アルティミシアが声を起てて笑い出す。ティーダは魔女を睨んだ。
「何が可笑しい?!」
アハハハハ……と高らかに笑っていたアルティミシアだったが、皮肉な笑みを浮かべクラウドを見た。
「秩序の兵士よ……おまえではスコールは救えない。おまえはスコールの孤独を埋められないのだ」
びくり、とクラウドの身体が揺れる。ひたと当てられた魔女の鋭い金の瞳に、クラウドは一瞬竦みあがる。
「おまえの存在は、スコールを苦しめるだけなのですよ。
おまえは、英雄の人形なのだから……。おまえは、英雄に囚われ続ける。こころから、身体まで……」
ぎりり、とクラウドが歯軋りする。
クラウドはセフィロスの人形。あいつはセフィロスに囚われ続ける……。
これはクラウドに対する揺さぶりでもあるが、俺に対する更なる打撃でもあった。
ひとり問題の範疇外にいたティーダが、叫ぶ。
「なに訳の分からないことを言ってんだ?!」
あぁ、いいなおまえは、ティーダ。何も知らないんだから。おまえもクラウドのことを多少好きかもしれないが、決定的な事実を知らないんだから、まだ救われる。
俺は再びアルティミシアを見ると、魔女のもとに足を進めた。
「……スコール!」
クラウドの悲痛な声がする。が、それは俺を止める力にならなかった。
不意に頭上が煌めく。目を上げると、何かがアルティミシア目掛けて降りてきていた。
それに気づいたクラウドが、ダッシュで俺に近づき、俺の身体をアルティミシアから離した。魔女も殺気に気づき、横の方角にジャンプする。
飛び降りてきたものは、アルティミシアが退いたことを認め、垂直に構えていた剣の型を解き着地した。長い銀髪を散らし立ち上がったのは、俺がいま最も見たくない相手――セフィロスだった。
「よくもこのわたしやクラウドの過去を使い、獅子を操るための小細工をしてくれたな」
静かだが、怒気を孕んだセフィロスの低い声に、アルティミシアは身構える。
セフィロスの言葉に、クラウドは顔を上げる。
「過去に細工……?」
ちらり、とセフィロスは俺とクラウドを見た。
「この世界に来る前、時折頭がざわめくことがなかったか? たまに他人の声が聞こえたこともあったな」
合点がいったようにクラウドが目を瞠る。
何だ……? 俺がクラウドやセフィロスのなかに送り込まれていたのを、セフィロスは気づいていたのか?
俺自体、それがどういう仕組で行われたのかよく分かっていない。だが、俺は確かにクラウドやセフィロスのなかに入り、堪まりかねたとき叫んでいた。
セフィロスは長刀を構え、アルティミシアを狙う。
「この女が何かを企んでいるのは知っていたが、まさかこんなこととはな。
クラウド、わたしはこの女に痛みを与えねば気が済まん。このわたしのプライドを傷つけた報いが重いと、とくと思い知らせてやらねば。
今のうちに行きたければ行くがいい」
言い様、セフィロスは疾走して魔女に剣筋を飛ばしていた。アルティミシアも、セフィロスの攻撃に電撃で応戦する。
強い力で俺の肩を抱き腕を掴むと、クラウドは俺を引っ張り走り出した。後ろから足音が聞こえていることから、ティーダもそれに続いていると分かった。
アルティミシアとセフィロスが戦っている間に、俺たちはアルティミシア城から脱出した。
クラウドが俺を連れてきたのは、星の体内だった。あたりを見回し、ティーダが不安そうに言う。
「クラウド、そのうちセフィロスが帰ってこないっスか?」
ティーダの問いに、クラウドは首を振る。
「……いや、暫くは帰ってこないだろう」
目を細めるクラウドに、俺は無性に怒りが込み上げてくる。そしてそれが、口を突いて出た。
「……セフィロスのことなら、何でも知っているような口振りだな」
非難の混じった俺の口調に、クラウドは悲しげに目を伏せた。
しばらく黙り込むクラウドに、俺の苛立ちが高じてくる。何か言いたいなら、言えばいい。
やがてクラウドは目を上げ、俺を真っ直ぐ見た。
「……スコール、おまえが見たのは、あくまで過去なんだ。過去は過去であって、今じゃない。
今と過去の想いは、違うんだ。……人間は、変わっていくものなんだ」
穏やかだが、哀調の籠もるクラウドの眼差し。俺は思わず怯んでしまう。
「失ったものを、悲しく思うこともあった。
失ったことで、どう生きていいか分からなくなったこともあった。
だが、人間はずっと同じではいられない、と気づいた。
……そして、俺はそれに感謝した」
やはり、クラウドはセフィロスを失ったことを、悲しんだのか。セフィロスが居なくなって、どう生きればいいか分からなくなったのか。……それは、今の想いじゃないのか?
俺は口元を歪ませ、言葉を舌に乗せる。
「……そんなこと、何で俺に言うんだ?
あんたがセフィロスを想っていようが、俺には関係ないだろう」
俺の言葉に、クラウドは眉を寄せ、悲しげに項垂れる。
……見ろ、やはりそうだったじゃないか。クラウドはまだセフィロスを愛しているんだ。それなのにあんなことを言ってクラウドを傷つけ、また自分自身にも刃を向けた。俺は馬鹿なんだろうな。
そんな俺の態度に黙っていられなかったのは、ティーダだった。ティーダは俺の胸ぐらを掴むと、拳で俺を殴った。
驚いたクラウドが、ティーダの肩を掴み、止めに入る。
「ティーダ、やめろッ!」
クラウドがティーダを揺さぶったので、ヤツの手から落とされ、俺はステージ上に崩れ落ちた。
ティーダの手は、震えたままだ。
「おまえ……クラウドのこと、何も知らないっ……!
秩序の聖域で黒い羽根を見つけたとき、後先考えず血相変えて走り出したクラウドのこと……。
黒い羽根だから、クラウドは真っ先にここに来たさ、セフィロスからおまえを取り戻すために!」
ティーダの熱弁を、クラウドは慌てて止めようとした。
「ティーダ、もういい……!」
「いいわけないだろうッ?! このまま誤解させたままでいいのか?!」
「ティーダ!!」
クラウドとティーダが揉み合っていると、素っ頓狂な声が聞こえてきた。見ると、ジタンやバッツ、それに他の仲間たちが星の体内にやってきていた。
「何やってんだ?」
呆れ気味に聞くジタンに、涙目のティーダが走り寄った。
「何でスコールはクラウドの気持ちが分からないんだよ! クラウドはスコールのためなら、自分を犠牲にする覚悟さえあったのに……!」
「よせ、ティーダ!」
ティーダの泣き言に、クラウドが制止する。が、ティーダの言葉は止まらない。
「クラウドはセフィロスに、スコールの居場所を聞いたんだ。
セフィロスは、教えてほしければ、見返りとしてクラウドを寄越せと……」
クラウドは俯き、恥入るように頬を染める。
……やはり、今でもクラウドとセフィロスの関係は続いているんだ。思った通りだ。
が、続けられた言葉は、信じられないものだった。
「あんたのものになってもいいけど、こころまではやれない。今のあんたには興味がない、こころはスコールのうえにあるから……って、クラウド……。
それなのに、その気持ちを当のスコールに分かってもらえなきゃ、クラウド可哀想だろう?!」
思わず、俺はクラウドを見入ってしまう。俺の視線に気づき、クラウドは顔を背けた。
クラウドのこころが、俺のうえに……? まさか、そんなことはないだろう?
半信半疑の俺に、オニオンナイトが何かを差し出してきた。それは、秩序の聖域でクラウドに化けたアルティミシアに渡された球体だった。
「信じられないようだったら、これ使ってみたらいいんじゃない?
アルティミシアが持ってたもの。これを使ってスコールをクラウドやセフィロスのなかに送り込んでいたみたいだよ」
球体を手渡された俺は、その物体を隅から隅まで見る。球体には名称と説明の書かれたステッカーと、区切りのついた電子板、そしてダイヤルが付いていた。
ステッカーには、『ジャンクション・マシーン・エルオーネ』と書かれていた。
足の爪先で地面を軽く叩きながら、ジタンが言う。
「俺たちここに来る前にさ、アルティミシア城に行ったんだけど、アルティミシアとセフィロスが熾烈な戦いを繰り広げてたよ。
その合間に、セフィロスがそれを持ってけって……。説明書を読めば、使い方が分かるだろうって」
そして、ジタンの横に並んだセシルが、クラウドに向け言った。
「ねぇ、クラウド。何度も入らせたついでに、もう一回スコールが君の過去に行っちゃだめかな。
それも、つい先程や、最近の過去に」
あ……と呟き、クラウドは顔を真っ赤にする。
クラウドから了承を取る前に、オニオンナイトが俺から機械を取り上げて取扱説明書を読んでいた。みな、今から俺をクラウドのなかに送り込む気満々らしい。
「この左側の数字が現在で、右側が過去らしいよ。で、こっちの空欄が送り込み先の人間の名前の入力欄。
このダイヤルを回して、数字と名前を変えていくみたい。
さっきまで使われていたから、左側は今の設定でいいと思うよ。問題は右側と名前だね」
オニオンナイトの説明を、セシルとティナがふんふんと頷き聞いている。リーダーであるウォーリア・オブ・ライトも、何も言わないところからすると、根本的にこの作戦に反対ではないらしい。むしろ、目がやってしまえ、と語っている。
「というわけで、クラウド、いいよね?」
にこにこ顔で言うセシルに、ティーダが大きく頷いていた。ティーダの様子は他のみなより切実そうだ。
「そうっス。クラウドも実際スコールにあのときのことを見てもらった方が、分かってもらいやすいよ」
眼に熱を込め言うティーダに、ついにクラウドは折れてしまった。
「……好きにしてくれ」
何とも、曖昧な返事だが。
みなに押し切られるかたちで、俺は仲間たちにより、再びクラウドのなかに入ることになった。
今度は、この世界に現れてからの、クラウドのなかに。
まだ過去とはいえない、現在進行形の過去のなかへ。今のクラウドと繋がる過去へ、俺は行くことになった。
設定をし終わったジャンクション・マシーン・エルオーネを手に持たされ、俺はクラウドを見る。クラウドは湖面の水のように凪いだ眼で頷いた。
俺は目を閉じ、クラウドの近い過去へと飛ばされていった。
-Powered by HTML DWARF-