爪痕  (a title distribute by. Regenbogen)


 ――誰かの怒号が聞こえる。
 窓を開けずとも、眩しい光が差し込んでいる。既に、昼近いのかもしれない。
 雪華は薄く目を開け、怒鳴り声の主を探そうと起き上がろうとし、律然とした。
 はらりと落ちた寝具の下から現われた何も纏っていない身体。肌の所々に、赤紫の痣が残っている。そして――胎内に、違和感がある。寝台が湿り、性交後独特の臭い――精液と愛液の交じった臭いがしている。
 はッ、と雪華は昨夜の出来事を思い出し、震えだした。

 ――わ、わたくし、夫ではない殿方と……。

 雪華はわななく手で敷布を掴み、寝具で身体を隠した。
 渤海王の世子・高澄に犯され、あまつの果てには自ら彼を貪欲に貪ってしまったのだ。――姦通の罪を、犯してしまったのだ。
 雪華が布地で顔を押さえていると、ばんッ! と激しく扉が開けられ、誰かが入ってきた。雪華は寝具から顔を覗かせる。

「――――――ッ!」

 憤怒の形相も顕な高愼が、険しい空気を発しながら、身を竦ませる雪華のもとに近づいてきた。
 素早く手を振り上げると、高愼は妻の頬を力任せに殴った。横凪ぎに寝台に倒れる雪華。口内が切れたのか、鉄臭い味が口のなかに広がった。

「だ……誰と、不貞を働いたッ!!」

 激しい打撃だったが、雪華はようよう身体を起こす。いつもは波風ひとつない穏やかな夫が、こんなに怒りを顕にしている。雪華は怯え、がたがたと震えた。
 何も言わない彼女に更に憤り、高愼は妻の身体を隠している寝具をはぎ取った。強引に華奢な膝を掴んで開脚させ、柘榴色の裂け目を露にする。荒々しい夫の行いに動転して、雪華は目を剥く。
 高愼は何の前触れもなく妻の花弁を指で割り裂いた。中に指を突っ込み、胎内に留まっているものを掻き出す。優しさのない手つきだが、昨夜の火種が燻っており、雪華は小さく息を飲む。

「これは、何だッ! わたしに隠れて他の男の胤を受けたのか!」

 夫の手には、白濁した昨夜の名残が絡まっていた。召使や侍女が扉の陰から顔を覗かせている。雪華は恥ずかしく惨めで死にたくなった。
 衆目の目から隠すため、汚れた身体を寝具で覆うと、雪華はわななく唇を開いた。

「さ……昨夜……高都督が、この第に……。こ、拒んだけれど、衣を破かれて……」

 そう言って、雪華は寝台の下に落ちている破れた衣を指差した。高愼は衣を拾い、広げる。見るも無残なほど、衣は形を留めていなかった。震える手で衣を掴むと、高愼は更に引き裂いた。雪華はびくり、と身体を強ばらせる。

「衝撃のあまり……自害することも、考えられませんでした。わ、わたくし……」

 雪華は手で顔を覆って泣きだす。苦い顔で妻が肩を震わす姿を見、高愼は侍女に命じた。

「湯が沸いたら、雪華の身体を清めよ」

 そう言い置いて、高愼は足早に寝室から出た。
 金縛りが解けたように皆動きだした。雪華はそれを呆然と見ている。

 ――本当に、どうして自害することを思い至れなかったのだろう……。

 女としての生き恥を曝してしまったことを、雪華はひたすら悔やむ。皆が見ている前で不貞の罪を罵られ、愛情の欠片もない手で女陰に触れられるのを見られて……。悔しくてたまらない。涙が止まらない。
 寝具で涙を拭っていると、侍女が入ってきて湯の用意が出来たと告げた。運ばれてきた大盥に大量の湯が注がれる。重く気怠い腰を上げ、雪華は湯で身を清めようと寝台から降りた。

「あっ……」

 雪華はぶるり、と腰を震わせた。膣のなかから精液が伝い落ちる。不快な感触に、彼女は股をぴたりと合わせて歩く。が、誰も見咎めなかった。

「……き、清め終わったら呼ぶから、下がっていて」

 彼女の先程からの様子で察し、介添えするため侍っていた侍女は皆下がった。
 雪華は盥を跨いで湯のなかに入る。盥の縁に腰掛けると、大きく股を開き身体を曲げて窪のなかに指を差し込み、残滓を掻き出す。ぼたぼたと白い粘液が湯の中に落ち、卵の白身のように凝固する。どんなに掻き出しても尽きぬ男の精に、いかに激しい情事だったかを悟った。

『俺は寂しいおまえに同情して抱いたわけではない。おまえを気に入り、欲したからこそ、おまえを抱いたのだ。』

 高澄の言葉を思い出し、雪華は身体が熱くなるのを感じた。高澄の手つきを反芻し、自然と膣のなかの指の動きが早くなる。感じる場所を擦ると、びくびくと身体が痙攣した。湯のなかに滑り落ち、彼女は自ら慰めるよう蜜壺のなかを掻き回し、肉の真珠を揉んだ。

『身体が餓えているのなら、今宵だけでも激しく満たしてやる』

 今、己を愛撫しているのは高澄の指。若々しく張りのある肌と、筋肉質な腕に包まれていると錯覚しつつ、雪華は片手で乳首を摘んだ。

「あぁ、はあぁ……っ、子、恵さまぁっ……」

 激しく洞を指で摩擦し、乳頭と肉芽を揺すぶり続ける。細く高い嬌声を上げ、雪華は逝った。
 肩で息をし、指を引き抜くと、雪華は涙を一筋零した。湯のなかに白い澱が浮いており、一夜の過ちをないことには出来ないと彼女に自覚させた。

 ――もう、前のようには戻れない。わたくしは汚れてしまった……。

 知ってしまった女体の愉悦。消すことなど出来そうにない美しいひとの面影。何もかも、昨夜で一変してしまった。
 嗚咽する雪華に気付き、部屋の外で待機していた、側近である呂春瓔(ろしゅんよう)が入ってきた。湯に浸かっている雪華に向かって膝を付き、頭を垂れる。

「お許しください、奥さま。わたくしは奥さまをお護りできませんでした」

 雪華は涙を拭い、春瓔を見る。

「春瓔も、高都督から金子を受け取っていたの?」

 春瓔は俯いたまま動かない。それが、答えなのだと雪華は悟った。

「あなたは、わたくしの身体と名誉が汚されても、それでよかったの?」

 彼女がそう言ったとき、春瓔はやっと顔を上げた。

「――お言葉ですが、あえてあの場は、高都督に逆らわぬほうがよいと判断したのです」

 春瓔の言葉に、雪華は身を乗り出す。

「――どうして?」
「高都督の一族は成り上がり者の野蛮人ですが、陛下を陰で操る実力者です。
 朝廷でも、高都督の力を怖れる者が多いと聞きます。女身の奥さまといえど、逆らえば只では済みますまい」

 腹心の忠言を、雪華は黙って聞いた。確かに、高澄に逆らうと後々厄介なことになりかねない。
 が、昨夜の彼からは、どこか優しさも感じられた。人間の多面さなのかもしれないが、雪華はやはり彼を悪く思えなかった。
 湯から上がると、春瓔に身体を布で拭いてもらい、下襦を身につける。

「幸い、高都督は女人に対する執着が浅い御方と噂に聞いております。
 ですから昨夜のことは、犬に噛まれたとでもお思いになってお忘れなさいませ。
 肩の傷も、数日で癒えましょう。
 ――くれぐれも、早くお忘れなさいませ」

 上衣と単衣、裙を着せながら、春瓔は雪華に言い含めた。
 鏡台の前に座り、春瓔に結髪させながら、雪華は虚ろに鏡に映る己を眺める。肩に残った傷――肉体の高まりに任せて高澄が噛み付いた歯形が疼く。
 この傷が消えた頃、彼を忘れることが出来るのだろうか? 強烈な印象を己に残した彼を。雪華は目を伏せた。

 ――忘れられるなら、忘れたい。

 飾り櫛と真珠を連ねた銀の歩揺(ほよう)を高髷に挿して身仕度を終えると、春瓔は下がっていった。
 嘆息を吐くと、雪華は寝室を出た。




 遅い朝食を摂ると、思ったとおり高愼の尋問が待っていた。執務室でふたりきりになり、雪華は高愼と向かい合って小搨(しょうとう)に座る。

「高都督は先だっての酒宴でわたくしを見初められ、秘かに召使や奴婢たちに金子を渡していたと仰っていらっしゃいました」

 雪華は高澄の企みの裏側を説明する。が、彼が夫の親友・崔暹を使ったことには言及しなかった。

「高都督は好色でいらっしゃいますが、女人に対する執着は薄くていらっしゃいます。
 ですので、二度目はないと考えられますでしょう」

 夫に二心があると思われないよう、彼女は出来るだけ淡々と語る。
 不意に、高愼が場に不釣り合いな、どこか暗い嗤いを浮かべる。雪華は訝しんだ。

「……孺子(じゅし)の肉棒の味はどうだった? おまえの肉襞は悦んだか?」

 一瞬、雪華は空耳を聞いたかと思った。こんな言葉を、夫が吐くとは思えない。

「だ、旦那さま……?」

 びくり、と雪華の身体が硬直する。うっそりと嗤ったその顔は、ぞっとするような凄味を帯びていた。

「高子恵はまだ若く、精力も強い。その上男でも見惚れる美貌だ。いくらおまえでも、墜ちようものよな」
「お、仰っている意味が、分かりませぬ……。
 第一、凌辱を受けた女が、強姦した男に惹かれるなど……」
「嘘をつくなッ!!」

 ひッ、と息を呑み、雪華は袖で顔を覆った。怖くて夫の顔がまともに見られない。こんなことは初めてだった。

「おまえは、うわごとであの男の名を呼んでいたッ!
 股間を男の精液で淫らに濡らして、もっと銜えさせて欲しいと、肉唇をひくつかせて……。
 この、あばずれがッ!!」

 いきなり腕を突き出すと、高愼は彼女の頭を鷲掴み、机にぐりぐりと押しつけた。

「この売女が、まだあの男を銜えたがっているのだろう! そうはさせんッ!!」

 雪華の頭を押さえ付けたまま、高愼は彼女の後方に廻り小搨を蹴って退け、おもむろに袴を脱いで怒張を取り出した。彼女の裙を捲り上げ、腰巻を解くと、何の準備もされていない花壺に怒りの象徴を一気に奥まで突き込んだ。

「い、痛いッ!! 止めて、止めてぇッ――!!」

 無理な挿入で膣の中が傷つき、血が出ているのが解った。高愼はそれを潤滑油にし、思うがままに突く。

「おまえはッ、わたしのものだぁッ!!」

 遠慮のない突進に、雪華の足ががくがく震える。女体の生理反応として分泌されてきた津液が、血と交じってぐちょぐちょと鳴る。雪華は机に突っ伏したまま泣きじゃくっていた。
 こんなはずではなかった。こんな風に愛されたかったわけではなかった。愛撫のひとつもなく尻を高く掲げた惨めな姿。不貞を働いたからこうなったのか? 高澄に抱かれたからこうなったのか? 雪華は混乱し、どうしたらよいか解らなくなった。
 捉まるものがなく、脱力した雪華はずるずると机から滑り落ちた。後ろから高愼に抱き留められ、そのままふたりは繋がったまま床に座り込む。
 挿入が更に深くなり、雪華は悲鳴を上げた。

「あッッ――――!!」

 高愼は彼女の衣の合わせに手を掛けると、左右に押し開いた。下着をたくし上げて豊かな乳房を包み込む。乳首を弾くように愛撫しながら、高愼は下から突き上げる。

「ううッ……ひくッ……」

 雪華の頬に流れる涙を、彼は舌で舐めとる。敏感な胸の頂きを攻められ、雪華の内膜が収縮する。もう生理現象とはいえない蜜が、女の泉から滴り落ちている。高愼は下の宝珠を手を伸ばし、円を描くように擽る。雪華の身体は痛みだけでない反応を訴えはじめた。

「ああぁっ……はあぁっ……」

 激しくなる律動に、雪華は身体を反らす。小刻みに痙攣し、腿を細やかに揺すった。

「気持ち好いか、淫乱よ! そのまま逝ってしまえッ!!」

 高愼の痛罵に、言い返すことの出来ない雪華はただ涙をながすことしか出来なかった。喘ぎを漏らし、淫襞を男根に絡ませて絞り上げる。乳首と陰核への刺激は激しくなり、雪華を追い上げた。

「あ、あなたぁッ……!」

 泣きながら叫び、雪華は夫をもぎ取らんばかりに締め付ける。一声呻き、高愼は妻のなかに種を蒔いた。
 疲労のあまりぐったりと寄り掛かってきた雪華を、高愼は万感の想いを抱いて後ろから包み込んだ。夫の暖かさに、妻は泣き腫らした目蓋を閉じた。




 眠る妻を抱き抱えたまま、高愼は思考の迷路にさ迷い込む。
 おそらく、高澄は雪華の美貌の虜になり、手を出さずにはいられなかったのだろう。が、それは己も同じことで、妻ある身でありながら雪華の清楚で凛とした美しさに一目で魅せられた。矢も盾も堪らず妻と離縁し、雪華を娶った。妹を離縁された崔暹はあまりよい思いをしなかっただろう。が、それを許したのは、己の熱狂を目の当たりにしたからに他ならない。
 熱気に駆られて雪華を妻にしたのはいいものの、彼はもう若いとはいえない年齢になっていた。対して、十四歳の雪華は未だ稚く、触れるのを躊躇わせる空気を醸していた。それは三年経った今も同じで、女でありながら利発で堅実な雪華は、彼が触れられるような隙を見せなかった。何より、彼女に触れることによって、若くはない己の男を悟られるのが怖かった。
 が、あの宴の夜、雪華と話している若く美しい高澄を眺め、以来高澄を意識している雪華を見て、高澄に嫉妬するようになった。その高澄に昨夜挑まれ、為す術もなく犯されてしまった雪華の落花狼藉の樣に直面して、辛抱できず彼女を凌辱するように抱いてしまった。――定めて、雪華のこころを傷つけたに違いない。
 それでも、押さえられなかった己の愚かさを、高愼は呪った。これからも、高澄に抱かれた雪華を面罵しそうで、高愼は己が怖かった。



 高澄が戯れで挑んだ一夜は、高愼夫婦の関係に爪痕を残した。
 これからの墜落していく人生を予知できない雪華は、夫の腕のなかでひと時の眠りに就いていた――。




虚ろな心

燃える月






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