憎悪 (a title distribute by. Regenbogen)
燈台の明かりだけが灯った、薄暗い閨のなか。
か細い女の喘ぎ声が静寂に響いている。
「ああぁぁぁ……」
尻を突き出した女の花苑に、男が背後から何かを出し入れしている。女は餅のような臀部をぶるぶると震わせていた。
女の膣のなかに入っているのは、醜悪な形をした張型だった。肉芽に突起が当たるように出来ている業物で、抜き差しする度に膨らんだ淫核を押し潰した。
「だ、旦那さまぁ…も…許し……あぁッ!」
「嘘を吐くな。まだまだ満足していないだろう。なぁ? 雪華」
男――高愼は長い時間、妻の陰部を男根の偽物で貫いていた。既に何度か気をやり、それでもまだ雪華は感じ続けている。花の泉から流れ出ている滝は、敷布の上に愛液の水溜まりを作っていた。
「ふうぅぅぅッ……」
雪華の襞は異物を強く捕らえ、離さない。強力な吸引に逆らい、高愼はぐぽぐぽと張型を出入りさせた。てらてらと淫靡に光る朱肉が、黒い固塊の出入りの度に捲れ上がる。
「あ…あなたっ……」
雪華は弱々しく振り返り、色香の籠もった眼差しで高愼を見る。そんな妻の耳元に息を吹き込み、彼はねっとりと囁いた。
「欲しかったら、言ってみろ……下さい、と」
ぞくぞくと背を震わせながら、雪華はいやいやと首を振る。寸時に、高愼は抜き差しを速くした。
「ああああッ!」
背を仰け反らせ、雪華は絶叫する。高愼は尖りきった彼女の乳首を摘み、擦りあげる。
「く、下さいッ……」
「何を、どこに?」
意地悪く注がれる言葉に、雪華は擦れた声を出した。
「わたくしの…下の口に……あなたの、肉棒を……っ」
涙目で言い切った妻に満足し、高愼は張型を引き抜き、先走りで濡れた男根を女陰に差し込んだ。
「あぁッ――!」
雪華の、悦びの声。自ら尻を振り、高愼を貪る。ふたりは獣のように陰部を打ち付け合った。夫が乳房に触りやすいよう上肢を肘で支え、足を更に大きく開く。心得たように、高愼は白い鞠のうえに乗った肉豆を捻り、淫蜜の絡まった花芽を指で揉んだ。先程まで散々いたぶられていた彼女は軽く逝ってしまう。
辛うじて雪華の絶頂に巻き込まれなかった高愼は、激しく突き続ける。快楽に啜り泣く妻に構わず、ぱんぱんと腰をぶつけた。
「あなた…あなたぁ……」
過激な動きに、再度雪華は頂点に向かっていく。高愼もそれに合わせ、小刻みな突きを入れた。
「い、くッ――!」
妻の叫びと膣の収縮に合わせ、高愼は吐精した。
疲れて眠る雪華の寝顔を見ながら、高愼は妻の身体に触った。腰から尻までを軽くなぞるだけで、彼女はぶるり、と肢体を震わせる。――高澄に犯される前までは、こんなことはなかった。
雪華の腹心である春瓔に指摘されてから、高愼は再度高澄の魔の手が伸びぬよう、毎夜妻と休むようになった。が、怯えた表情をする雪華を見ると、どうしても劣情を押さえられなくなる。結果、粘着するように彼女を抱いてしまう。高澄の一件があってから優に三ヵ月は経ったが、雪華との交合は絶えたことがなかった。
が、雪華と身体を交わすたびに、高澄の顔が過る。おそらく、淫らに喘ぐ彼女を見ることが原因だろう。高澄に抱かれる前までは、雪華は乱れることのない女だった。――高澄の一件で、身体が変わってしまったのだ。故に、高愼は雪華を蔑み、諷しては彼女を悲しませてしまう。本当は、そんなことをしたくはないのに……。
彼女を抱くのは、嫉妬からだけではない。――愛しているからだ。崔暹の第での宴から、ずっと焦がれてきたのだ。こんな形では、抱きたくなかった。もっと愛する女を慈しみたかった。が、高澄の残像が邪魔をする。
――わたしの想いは、雪華に知られることなく終わるのか……。怯えられたまま、終わるのか。
己のしていることを考えれば、それも仕方がないのかもしれない。そう思うと、己に対して嗤えてきた。
眠り顔の雪華は儚げで、切なくなってくる。高愼は静かに妻の唇に口づけた――。
――それから二月後。
「あの、奥さま……」
夫の夏物の下襦を縫っている時、雪華は春瓔に呼ばれた。手招きされるまま、彼女は部屋を出、庭に出た。
先導していた春瓔が、困惑した表情で振り返る。
「市で噂に聞いたのですが……奥さまを高都督に寝取られたと、ご主人さまが酒場で暄伝していたそうです」
「旦那さまが?!」
雪華は長袖で口を押さえる。
夫自身が己と高澄の醜聞を世間に流している……。酒場などで言い触らせば、話は瞬く間に世間に広がるだろう。ひいては、高澄本人やその父・大丞相高歓の耳にも入るかもしれない。
「……まずいわ、それは。旦那さまの立場を悪くしてしまう……」
雪華は震える声を押さえられない。
夫の一族はこの魏で忠勲を立てている。兄の高乾(こうかん)は孝武帝に疎まれながらも高歓を立て、死を賜った。弟の高昂(こうこう)は武勇で以て買われている。いずれも、高歓はその義を厚く重んじ、渤海高氏に対してを誠意を払っていた。
が、夫のこの行いは、彼の兄弟の働きを打ち壊してしまうくらい立場を悪くすることだった。間違いなく、高歓の不興を買うだろう。
思えば、高澄とのことがあってから、夫は奇矯な振る舞いが多くなった。最近の夫は昼夜関係なく酒を飲み、悪酔いしている。人目を気にすることが無くなり、朝廷を無断欠勤するようになった。
第にあっても、侍女や召使が見ている前で雪華を殴り、淫行に及ぼうとする。寝ることも忘れ、一日中交わっていることもある。二ヵ月前に醜い張型を持って帰ってきたときには、心底驚いた。性愛のときには、大抵「あばずれ」「淫乱」と罵倒される。娼婦のように淫らに扱われる。夫は己が名族の女だということを、忘れているようだった。
原因は、雪華にも分かっている。一時でも高澄にこころを動かされたからだ。肉体も高澄に抱かれてから敏感に変化した。他の男の手によって妻の身体を開花させられたことが、夫として面白くないのだろう。だから、己の肉体を殊更粗末に扱うのだ。雪華は溜め息を吐いた。
故に雪華は、遊女まがいに抱かれても耐えていた。夫がそれを望むのなら、そのように振る舞った。面罵されても、それをすべて受け止めた。
だが、雪華は破廉恥な女として扱われそれに馴れることによって、本当にそのような女になってしまうのではないかと危惧してもいた。名族の女としての自尊心が崩れていく。ただの性奴と化していく。それが、雪華には恐ろしい。
が、そうすることでしか、夫に向き合えないのだ。仕方ないことだった。
雪華は亭のなかで涼みながら、どうしたものかと考えていた。夫はまた遊び歩きに出ている。帰ってきた頃には、きっと酔いを深めて話を聞ける状態ではないだろう。
そこまで考えたとき、不意に吐き気をもよおし、木陰に走って胃液を吐いた。
「奥さま?!」
苦しそうに胸を押さえる雪華の背を擦り、春瓔は心配気に顔を覗かせた。ふぅ、と息を吐き、雪華は口を拭う。
「だめね、暑気当りかしら。最近よく胸がむかついて吐いてしまうのよ。食欲が無くて食事を採れず、胃液ばかり吐いてしまうのだけれど」
「奥さま、それは……」
春瓔は何か心当たりがあるようだった。嬉しそうに雪華の手を取る。
「きっと、ご懐妊ですわ。お医師を呼ぶ手配をいたしますね」
「え、春瓔!?」
動転し腹心の名を呼ぶが、浮き足立った足取りで春瓔は回廊まで歩いていった。
――懐妊……本当に?
本当に、己は子を身籠ったのか。
だとすれば、夫の兄・高乾が死んで以来沈みがちな渤海高氏にとっては、願ってもない慶事である。が、夫である高愼が荒れた状態にある。本当に、安全に子を産めるだろうか……。
嬉しいことながら、雪華は暗澹とした思いに刈られた。
すぐに医師がやってきて、雪華は診察を受けた。間違いなく、彼女は高愼の子を身籠っていた。
高愼が第に帰ってきたのは、夜半過ぎだった。既に皆寝ている時間であるというのに、第のなかは咬々と明かりが灯っていた。訝しんで第に入った高愼に、皆慶意を告げた。
寝室に入った高愼は、祝い事のような豪華な馳走が卓に並べてあって、更に驚いた。小搨に座っていた雪華が立ち上がり、叩頭礼をとる。その後ろには春瓔ら侍女が同じように頭を下げていた。
「……どうしたのだ?」
主座に着き、当惑している高愼に、春瓔が告げた。
「おめでとうございます。雪華さま、ご懐妊でございます」
「……何?」
目を剥いた高愼に、雪華は不安になる。
「……喜んでいただけませぬか?
旦那さまにとっては何人目かの御子になりますが、わたくしとの間では初めての子ですのに……」
「いや、喜んでいないわけではない。……驚いているのだ」
夫の困惑とも笑いともつかない顔に、雪華はひとまずほっとする。
「そうか……我らの間に、子が生まれるか」
「はい、来年の初春には生まれますわ」
そうして、雪華は春瓔に目配せする。春瓔は侍女たちとともに退出した。
「……あと、申し上げにくいことですが、お腹に子がおりますので、身二つになるまでは、旦那さまの夜のお相手をして差し上げることが出来ませぬ。
御子を産んだのちには、今までと同じようにお相手致します。だから……」
「分かっておる。その子はわたしの子だ。養生のために、今宵からはそなたに触れぬ」
皆まで言わぬうちに、高愼はすべてを察した。雪華は素直に感謝した。
「……もう一つ、お聞きしたいのですが」
「何だ」
今夜はそんなに酔っていないようなので、一呼吸置いてから雪華は話しだした。
「……民草の間で、わたくしと高都督のことが噂になっております。
旦那さまがお話になったと耳にしたのですが、本当のことでございましょうか」
「本当のことだ」
間髪置かずに高愼は答える。雪華は瞠目した。
「だ、旦那さま、高都督の名誉を辱めれば、高一族もただでは済みませぬ!
何故そのようなことをなさったのですか!」
そう言って詰る雪華に、高愼は暗い嗤いを見せる。いつ見ても、この顔はぞっとする。辛うじて雪華は平常心を保った。
「――憎かったからだ、そなたを寝取った高子恵が」
「それは過去のことでございましょう!
高都督との一夜は、その月の経水とともに流れました。今更、何を恐れられるのですか!」
「そなたのなかに居る高子恵をだ」
雪華は蒼白になる。今は、高澄に惹かれる気持ちを持っていない。ただ、夫だけを愛している。それなのに、過ちは依然としてふたりの間に横たわっている。思わず雪華は涙ぐんだ。
「旦那さまは、わたくしを信じてくださいませぬか……?
わたくしが、何故旦那さまの夜々の行いに耐えているか、お解りになっては下さいませんか」
雪華の泣き顔に、高愼は目を反らす。そんなこと、とうの昔に知っている。が、走りだしたものは止まらないのだ。
「……あまり泣くな。まだ腹の子は磐石ではない。そなたが悲しめば、腹の子に響くだろう」
はっとし、雪華はお腹を押さえた。今は昔の傷を悲しんでいる場合ではない。
「そなたに対することだけではない。高子恵のやり方に憤っておるのだ。
――あれは、崔希倫が我が友と知っていて、媒人として使いおった。
故に、今日わたしは希倫に高子恵への叛意を告げてきた。
希倫がどうするかで、あれがどちら側に付いているか分かるな」
夫の常軌を逸した行いに、雪華は硬直した。
夫は、高都督に叛意を抱いているのか……。運命の行く先が決まったも同然だ。
雪華は、初めて高澄を本気で恨んだ。夫と己の関係を、夫と親友の関係を引き裂いたのだ。彼女はぽろぽろと涙を零した。
「わたくしは、高都督をお恨み申し上げます……!
あの方が戯れの遊びをなさらなければ、旦那さまは苦しまずに済んだものを……」
そう、高澄にとっては、己との一夜もすべて戯れだったのだ。その美貌で女のこころを捕らえるが、彼のこころは女の上にはない。だから、一番質が悪い。
女だけではない、彼はひとのこころも塵の如きものだと思っているのだ。
意外そうな面持ちで、高愼は雪華が高澄を罵るのを見ていた。
「そなたが高子恵を罵倒するなど、思わなんだぞ」
きッ、と雪華は顔を上げる。涙に濡れたその目は鋭く輝いていた。
「わたくしは、旦那さまが一番大事なのです。旦那さまと高氏一族の繁栄が、一番重要なのです。
わたくしは既に、高氏の者ですもの!」
雪華の実家である李家は、既に帰れる場所ではなくなっている。
父・李裔は昨年西魏に捕らえられて死に、兄弟は西魏の人間になってしまった。裏切り者を輩出した一家の女に、どの李氏一族もいい顔をしないだろう。
それだけではない、雪華はもう高愼のことしか考えられなかった。高愼と胎にいる我が子のことしか考えられなかった。高澄に対しては、許せぬという感情しか抱けなかった。
「わたくしのことを信じられぬといわれるのは、仕方のないことだと諦めております。
でも、わたくしのこころの内を侵すことだけは、お止め下さいませ!」
暫時、高愼は雪華の気迫に圧された。その言葉は、彼女の矜持の現われだった。
思わず、彼は笑ってしまう。いつもの哄笑ではなく、複雑な感情の籠もった笑いだった。
「そなたは、おかしな女だな。わたしに信じてもらえずとも、そなたは我が一族を大切に思うのか」
「それが、妻というものでしょう。あなた様がなさりたいことなら、何でも受け止める覚悟でございます。
たとえこの身を辱められようとも、あなた様になら構わない。むしろ本望でございます」
迷わず、雪華は言い切る。
それは、彼女なりの夫への愛の現われであった。高愼は彼女の想いをまともに受け止めていた。
「……解った。そなたが高子恵に愛情を抱いていないということ、信じよう」
「あなた……!」
雪華は高愼に縋って泣いた。
既に、大丞相一族へ反旗を翻したも同然の夫。雪華はどんなことがあっても、夫に付き従っていくとこころに決めていた。

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